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私は新鮮
毎日退屈で新鮮味を感じない状態は危険だ
退屈を感じる心の状態とは自発的な欲求ではなく、主体性の欠如に他ならない

1日として同じ日はない
環境や他者に刺激を求める習慣、強制的な労働環境は、退屈を心に起こす

退屈は人の世を変え、新しい何かを生み出しているかもしれないが、退屈だと言いながら毎日テレビをつけていたり、パソコンをしてる人は脳の機能が低下し続けていることだろう

退屈を感じるのは脳の様に思えるが、脳だけではなく体も感じている
新しい体を与えられて生まれてきた魂は、肉体に新たな刺激を求めることがある

あるものは脳の遊びに夢中となり、ある者は旅を重ねる
またある者は出会い中となり、浮気が辞められない

人間とはとても不完全であり、人間生活を行う為だけに生まれてきていない感覚を覚える宿命を抱いている

自由に活動を求める魂と、物理的な制約を引き起こす肉体の狭間に苦しむから、それを知性に解決を求めたり、感情面のコントロールに求める者が居たりもする

人は頭を使わなくても生きていけるし、心を知らなくても実社会での成功者と呼ばれて有頂天にもなれる

知性を極めようと学識に溺れ、感情を殺そうと厳しい修行に取り組むことに共に逃れる愚者もあろう

人は感覚の快不快、感情に支配され、或いは心の声に従い奔放に生きて良いが、実社会から遠く離れることだけは許されないものだと感じるのは、逃げることが最も力が失われてしまうことにある

力とは、生きる力だ
肉体を弱らせて、脳、腸、皮膚の機能を衰えさせてはならない

軍曹が知識を軽視し、知性を求める姿勢を無くしてはならないと思うのは、人は死ぬ時までに賢くなれば良いと思ってるから

健康で長生きすることこそ善であり、他者にも同じく慈しみや労わりを感じられるのは健康であるからだし、そこに至るまでの人の触れ合いにあって善意を示してきたのかだけが問題だからだ

「早死にするのは善人だけ」
善人は早くに亡くなりまた転生し、悪人は長く彷徨い苦しみながら転生を待たなければならない

勘違いし易いのは人の善悪だ
善人とは、素直に生きている人
悪人とは、我慢して生きている人

人の世の物差しでは測りきれないのが、人の善悪だ

退屈も悪いばかりではない
退屈は心の安定剤だ
正しく退屈しなければ、心は疲れて早くに失われててしまう

退屈が生み出していく新しい刺激は、多くの自然を壊して人の作るものを自然界ににおりの様に溜まり、逆に人の心を汚していく

今の世は無限に刺激を求めて退屈を力で押し潰そうとしているが、無限なんてことは肉体を持つ人には向いていない

むしろ人の求めるべき刺激は無限に拡張する精神世界にこそあるべきであるから、人は個性を求めて自分と向き合う退屈な時間を持つ方が向いている

退屈の解消を外的な刺激に求めるから、今の人は話していても退屈でしかなく、精神世界の広がりをみることがない退屈な人間だけしかいない

退屈は人で解消すれば良い

作家の心を知れば良い
家族、友人、恋人の心を知れば良い
旅をして違う社会の人を知れば良い



沖縄に暮らすと退屈で死にそうになる
人と変わったことを避け、人と同じことを求める民族の中では、どこで誰と話しても同じ反応が返ってくる

どこにも異なる発想、オリジナリティはなく、時間だけが無駄に流れていく感覚に発狂しそうになる

沖縄の呪いは神に与えられた土地と命をただ元のままに守る為にかけられた呪いの様だ
いつでも、どこに暮らしても沖縄のオリジナリティは変わらない気がしてくる

退屈な世界で退屈な人間に求めるものは、楽しさでしかない
自らが楽しみ、人と楽しむことが退屈への正しい処方だと沖縄に暮らすと感じられる

そこには主体性はなく、客観性もない
ただ正しく命が繋がれる世界がある
ここはやはり神の国なんだと思う

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