1986年と言うと大学生だった
チェルノブイリ原発事故の日が今日、4月26日

死の灰が北海道、東北、福島、茨城県に降った


目に見えないモノを説明するのが、専門家だと思っている

当時の情報拡散は主にテレビ
大学などの機関はネットワークの構築期にあり、一般にパソコンの普及する以前のNDL-OPAC実用化はまだ限られた中にあった
学生には閲覧は不可、教員のみが使用していたと記憶している
因みに国立図書館の開館も今日になる

朝日新聞がチェルノブイリからの死の灰が日本に降ったことを報道したのは、5月5日のことだった

物流のシステムや冷蔵技術も未熟で、東北の物が日本中に隈なく拡がることも無かった…加工品はこの限りではないが、新鮮な海の幸はご当地に赴いて食する物であった

チェルノブイリのことは直ぐに忘れられ、注目したとしても十分な情報は得られなかったのが殆どだろうか

今は自由に情報が拡散はされるが、その有用性は飽くまでも閲覧者の能力に委ねられている
寧ろ、誤情報による心理的な圧迫が増え、風評被害の拡散へと姿を変えたのかと思える

風評被害とは、難しい言葉だ
美味しんぼは今も福島の米の放射性物質についての取り扱いを描いてる
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不可能に近い…大人の言い回しだな
原発を存続させる為にはなんでもする人達が居るというだけのことだ

しかしつくづく原発と沖縄の基地問題は似ている
国防、経済効果(お金)のみに焦点が合わされ、健康、人間(個人)の尊厳には触れられてない言葉が増えてくる

今の沖縄の若い人は、「基地が在った方が良い」とまで言う
全肯定の者は少ないが、言葉足らずとはいえ物事の本質について考えない者の言葉は何れも同じということだろう

本当は、「基地は無い方が良いと皆が言うからそうなんだけど、基地が無いと収入がなくなって沖縄は貧しい国になる…だから、基地は在った方が良い」と言いたいんだろうか?

原発についても同じことを言う人が居ることは想像に難くない
本音と建前の国が日本なんだから、それで良いだろうと考えるなら、議論は何も生み出さずに知性は無用となる



1994年4月26日
名古屋空港にて中華航空の墜落事故があった(中華航空機104便墜落事故)

小牧に近い歯科医院に勤務する軍曹も関与した事故だ
歯科には検視官の様に法歯学という分野があり、御遺体の個人の特定には重要な働きをしている

身元不明の遺体が発見されると警察協力医として検死に当たることもある
よくよく今日は軍曹の記憶に残る日だと思う

マイクタイソンが暴れても人があんな風にはならないだろう
賠償も87名の遺族団体にたった50億円が法で示されただけだ
実際の金額に関する情報は開示されていない

那覇空港での炎上も記憶に新しい
それは今日は何の日ではないがな
この時の支払われた見舞金は一人$100だったそうだ…お金の話ばかりだな
(^_^;)





今日の花は、みずたがらし

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花言葉は、萌える愛情…燃えるだ
変換が異常なスマホだな
(*´﹃`*)
絶滅危惧種で関東では殆ど見ることのない花だが、京都に近い兵庫県が田舎の軍曹はうちの水田の近くでよく見ていた花として思い出深い

沖縄には無い花だな



放射性物質の影響は遅発性であり、まだ分からないことの方が多いんだけど、核兵器や原発のなくなる日が来ると良いなって思います

事故は忘れ無いが、今日がその日だったとは忘れていた
記録型社会の功罪は皆で考えないとね…不快な思い出が蘇るだけだわ

今日は何の日?
核兵器がなくなった日…
まだ無かったか?