理由があれば戦うことは容認されている

攻撃してくる相手が小さければ、戦いから逃れる方策を求める心も残るかもしれないが、核武装を持ち多くの訓練された兵士が攻めてきたら、戦うことになる

命を守る意識がより強く感じられるかもしれないし、死を強くイメージして逃場を求めるかもしれない

国だとイメージしにくいから、家に入って来たところを想像してみたらどうかと問われる

それでも戦いのイメージが上手く湧かないんだが…異常だろうか?

積極的に人を殺さなくても、今も多くの人の死を見逃して安穏と暮らしていることは殺人と変わらないことだと考えてみる

余り罪悪感が無い…それも人として誤った感覚なんだろうか?



弱肉強食、優勝劣敗は人の世の常だったし、これからも競争を続けて人は進化(進歩)を目指して努力して、多くを学ぶ必要があって、その大きな流れに身を置くことの必然として弱く能力の劣るものは死ねば良い…消えていくことを認める生き方を変える気はないんだろうか

とても強く大きなウネリを人は起こして共に流れ動いていて、その社会律動というものから逃れることは決して出来ないことと考えて、今目の前にある人の困難にも時間的な制約を意識して手を差し伸べられない自分を許している

日本には寄付や様々な形の援助機構が無いに等しく、お金が支配する世界にあって、その状況は矛盾している点もある

寄付や援助は、成功のチャンスを平等に与える為のものであり、同時に新たな競争を煽るものだから、それは競争社会には存在しなければならないものだが、日本にはこれが無いに等しい

全てにおいて積極性が無いのは日本的だが、何処かに競争を無くしたい意識が働いてもいるのかと感じる時もある

今なら経済格差が学力の格差に直結していて、富裕層の子息しか有名大学に合格出来ない状況が確立している

これを解消しようと新たな流れが起きていて、オンライン予備校などが現れている

確かに安く良い講義が受けられるかもしれないが、競争自体の激化は更に加速し、予備校同士の価値の競争も起きてくる

物事には必ず陰陽があり、少なくても二つの意味を持って存在するのは古くから言われていることだ
その存在の形には七つあり、それは成書に譲るが、争いが耐えることは無い単なる一つの方法でしかない



人の進化という言葉がとても嫌いで、人の変化といつも言い換えてる感じで口にする軍曹は、人の変化の行き着く先をよく夢想する

そして、人は変わる必要があるのかを考え続けている
それは勿論沖縄の話となる

沖縄は変わらないことを選んだ島だと感じる
或いは戦わないことを選んだと言い換えても構わない

お金儲けが正しい人の生きる目的となって150年
沖縄の学力は相変わらず日本最低を保ち、仕事の能力は向上していない

そしてその考え方は沖縄に限ったことではなく、日本や世界でも見られることだ

競争社会を良しとせずに、無能な怠け者との誹りを受けながら、異なる価値観を感じながら生きる人は居るだろう

見方によっては無意味な他者との競争を嫌い、敢えて努力をしない人を認めない社会こそが異常だと感じられるだろうか…
単なる言い訳、言い逃れと切り捨てることを思考停止と言う

思考停止が悪いことだとの刷り込みがあればインテリ程陥る物の見方と気が付くことを期待したい

ひたすら努力を続けて今の社会的な成功を収めた人には辿り着かない考え方はあって、自称賢い人達には理解出来ない難問だろう



インテリの罠と呼ぶこの異なる価値観の存在を認められない現象にこそ、変わることを求めて努力する者の矛盾はあり、生き方を見直す機会を奪う形にはなっている

賢いと信じている人達程、実は変われない思考停止した人である訳になる

そんな人達には、独立した個人として以外の生き方が思い描けない
人は孤独な戦いを続けて自らを高めてそれが社会の役に立つことに循環する世界しか思い描けないでいる

人の形は皮膚により外界と隔てられて個人を形成しているから、人は一人の人間として自立しなければならない錯覚を抱くが、肉体は性の形、精神はよりボーダーレスに形成される人としての集団生活が見えない

そこには独立した人格は不要であり、無知で迷信に満ちた非科学的な世界が存在し、普遍的な正しさすら歪められて、自分の考える正しさが存在しない共通認識がある
悲しみに満ちた世界でしかない

そんな世界に生きた思考停止していない人の怨嗟の連鎖が今の似非インテリを生み出して、今度はそんな社会を否定することに血道を上げて努めている様に見える



世界は大きく変換され、戦前にあった当たり前は全て逆転している
身分が卑しいとされた商人は最も高い社会的立場にあり、拝金主義は下世話な人間を増やしてのさばっている

商取引には立派な人格も、豊かな人間性も不要だし、恥の意識も良識も存在しなくて構わない

トヨタの様に不景気の皺寄せは下請けに被せても平気な顔をしてるとか、人様の預貯金で勝手気儘に投資して、不景気になれば貸し剥がしをする銀行然り
お金の前には人間性など微塵も必要がないと思える事はあった

居酒屋チェーンの会長如きド素人が教育に口を挟む事態は社会の崩壊を推し進めることでしかない

金持ちは単なる金儲けに成功した唯のおっさんだ
何も尊敬に値する部分はなく、教育に口を挟む権利も資格も無いのは常識的に考えて当たり前

ま、聖域の汚染は著しく「先生」に込められる敬意は重くない事案も多々見られるから仕方がないのかもしれない

教育崩壊の改善作としての一つの打開作として、損得の観念…お金の計算だけでなく、を持ち込むことには理があるのは認める

だが、そこには金持ちなら何をしても、何を言っても許される感覚は存在してはならない

フロントがアホやから野球が出来ないなんて、江本に言われることになる

人を変える力は、極論すると教育か暴力しかないから、教育はより変化の修正には重要となる

いつも心に留めて貰いたいことは、力の種類と力のベクトルだ

力がなければ人は生きていられない
だがその自分の持ち、人に示す力が自他共に傷つけるハードパワーなのか?
共に癒し合うソフトパワーなのかを問うて欲しい
そしてその力の方向が敵対的行動となるのか、融和なのかを問うて欲しい

日本人に足りていないのは、商取引における損得の感覚だと思う
少し感情に流され、単なる理想論か、そこにある物しか見えていない狭小な現実論でしかない

とてもバランスを欠いていて、本当に人が成すべき物を正しく見れていない

多様な価値観を認める知性を得る努力を続けて、良き人にならなければならない

あるべき、するべき論法アレルギーを改めて、人の姿の正しさを求めなければ、何も変わらないと理解されることを望む



競争社会を受け入れる人と否定する人が共に生きて戦わないでいられる社会が人の目標と定める

人を殺すことは悪で、でも戦争となれば嬉々として殺すなんて、間違いをいつまで続けていくのだろうかと疑問だ

白人の起こす人殺しの正当化の流れは中々変わらないだろう
悪の枢軸国とか…聞いていて恥ずかしいから、日本は関わって欲しくはない

頭悪すぎて、仲間と思われたくない
あ、仲間な訳ないな
(o^^o)