5/18(土)に母親から連絡があって、前日の5/17(金)に父親が肺炎で入院したとのことだった。
さかのぼるとゴールデンウィーク中に微熱と咳が出ていて、明けてからは個人病院に通院して肺炎の?薬をもらっていたようだ。
薬を飲んでも治らず、病状が悪くなる一方で原因不明につき、紹介状を書いてもらって大きな病院に行き、病院のベッドが空くまで数日待って入院した。
CTを撮ると間質性肺炎と診断された。
そして1週間、定期的にCTを撮ったが日に日に悪化し、呼吸できる範囲が少なくなっていたようだ。
5/23(木)に母親から連絡があったときは、もう長くないから早く来なさいとのことで、5/27(月)のお見舞いを予定していたが、翌5/24(金)の17時頃に再度連絡があり、月曜日までもたないかもしれないから、5/25(土)に来なさいとのことで、急遽病院に行った。
最初は4人部屋で、次にすぐ2人部屋に移り、そしてすぐにお隣さんが他の部屋に移って、現在はほぼ個室状態になっていた。
これは病院の配慮で、もう死が近いことを現していた。
その日は面会時間の都合もあってあまり会えなかったが、妻と2人で行き、妊娠検査薬の報告をした(^^)
そして妹家族も押し寄せて、大変な騒ぎになった(*_*)
5/27(月)も免許更新後にお見舞いに母親と2人で行った。
するとすぐ妹も来た。
この日ははじめ横になってたからキツイのかなと思ったら、途中で起きて座ってよくしゃべっていた(^^)
酸素圧を7→8に上げたら元気になったようだ。
酸素濃度も100〜99%を示していた。
どうでもいいことを話しながら、1つだけ覚えているのは、父が感動した話をしていて、自分の場合は小学校に入学して初めて1人でランドセルを背負って田んぼの中を歩いて登校しているときに、後ろからバレないようにそっとついていって、頑張って登校している姿に感動したそうだ。
そうこう話していると1時間半くらいいて、そろそろ帰ろういうことで、帰る前に家族4人で写真を撮った(^^)
父親はオキシメーターを見せて、『この数字は(写真で)見える?』と言ってきた。
だから『見えるよー』と言って、もう1枚撮ってアップにして見せたらぼんやり見えた。
父親はスマホを持たず、母親と妹に送ってそのままで帰った。
お買い物して、帰ってハンバーグを作った。
食べて片付けしている途中で気付いた。
4人で撮った写真を父親に送れればいいかなと思って、すぐ印刷して100均で写真ホルダーを買って、夜、レターパックでポストに入れた。
すると翌日昼に配達…早っ(≧∀≦)
そのまま母親が5/28(火)に持っていってくれたようだ。
その夕方に母親から電話がかかってきた。
先生から、5/27(月)から睡眠導入剤?を入れているとのこと。
そして、眠ったらモルヒネを投与すると。
本人も入院してすぐの面談で、延命措置はとらず楽に死にたいと言ったから、そのような運びとなる。
それがもうギリギリのところまできていたのだろう。
月曜日に行ったときは元気で、母親が言っていたようにあと数日しか生きられないレベルではなく、まだあと2〜3ヶ月は普通にもつんじゃないかなと思ったくらいの勢いだったのに、病状は全然違っていた。
それを聞いて自分は悲しくなって、4人で撮った写真を見たら泣いちゃいそうでもう見れなくなっていた。
もう今日明日で亡くなることが目前まできていた。
発症してまだ1ヶ月程度しか経っていないのに急激に悪化し、原因も相変わらず不明のまま。
こんな症状は珍しいとのことで、先生から解剖の打診もあったが母親は断ったみたい。
そりゃそうかもね。
その日はいつも通り21時頃に寝たが1時に起きてしまった。
2時間ほどスマホ見ながらゴロゴロしているとたぶん1時間くらい寝てて、起きたら5時だった。
いつものように朝ご飯を作って食べて会社に行った。
お昼前に母親に電話すると、父親はまだ眠ってはおらず起きていた。
というか、おそらく睡眠導入剤?が効いてないようだった(^^;
オキシメーターの数値はもう90%まで行かず、80%台で推移し、酸素圧も8→10まで上げているのにそれだった。
起きているからこそ呼吸が辛くなっているとのこと。
アイスが食べたいと言うから、コンビニで買って持っていくと、『美味しい美味しい』といって食べたようだ(^^)
母親は一旦お昼で帰ってまた病院に行くと言っていた。
もしかしたら午後からまた睡眠導入剤?を投与し眠らせるのだろう。
ただ、月曜日から投与しているのにずっと目覚めているという。
寝ないとモルヒネ投与ができないのだろう。
でももう永くないことは明らかだから、病院側もなんとか楽にいられるように対処してくれると思う。
必死に生きようとすることへの応援と、楽に死ぬことを本人も家族も望むという2つの相反する気持ちが複雑に絡みあって仕方がない。
今日明日、死の話を毎日想う悲しさが辛い毎日です。