さかのぼること5/18(土)に母親から連絡が来て、父親が肺炎にかかり入院したと連絡があった。


それが原因不明で大きな病院に行くと間質性肺炎ということで入院しての治療になった。


いまだに間質性肺炎がなんなのかわからないが、ウイルスとか、なんらかの原因があって、肺の外側が硬化し、呼吸ができなくなるというものらしい。


その原因が突き止められれば悪化を防ぐことはできるが、硬化した肺は戻らないので、遅かれ早かれ呼吸ができなくなる病気らしい。


で、5/20(月)からまた別の強い薬を投与するとのことで、そこまで聞いて話は終わってて、それ以降から連絡がなかったから、自分は呑気に原因が突き止められ薬が効いたんだろうと思っていた。


すると、5/23(木)に母親から連絡があり、いつ亡くなってもおかしくないと、急に話が変わった。


それを聞いて5/27(月)にお見舞いに行く予定にして会社に休み届けを出していたところ、5/24(金)の夕方に『月曜日までもたないかもしれいから5/28(土)の朝10時に来なさい』ということだった。


なぜかその病院は土日の面会はできないのだが、先生が特別に出してくれるとのこと。


母親から妻の両親が心配するからと口止めされていてそれまで妻に言わなかったが、土曜日はお買い物に行く日で妻に話ざるを得なかった。


妻に話して2人でお見舞いに行くことになった。


そこで、自分からの提案として、病気で両親とも衰弱しているだろうから、気持ちだけでも元気になってくれるように、少し早いかもしれないけど最後の希望として妊娠検査薬をして喜ばせてあげたいって言った。


5/20(月)前後に生理予定日だったがそれも来ておらず、茶色のおりものが1〜2日出て、そこから体温がもう一段階上がって36.8℃台をキープしていたから、自分の中では妊娠していると踏んでいた。


通常、妊娠検査薬は生理予定日の1週間後にするのがいいとされているが、3年前に妊娠した時も生理予定日の4日後くらいで十分に陽性反応は出たから、いけると思った。


妻も、もし自分の両親がそんな状況だったら喜ばせてあげたいって賛成してくれて、動画を回しながら妊娠検査薬をしたら陽性反応だった(^^)





結婚して1年後に妊娠したが化学流産?し、そこから妊活が始まって、タイミング法や排卵誘発剤を使ったり人工授精をしたり、2月に体外受精で採卵してふりかけ法で受精させたグレード1の初期胚を来月の6月に移植するところまで来ていたが、ギリギリのところで自然での妊娠に成功した。


本当に奇跡だと思う(^^)


そりゃ、3つの神様に見守られてエッチしたからv


それはいいとして、この妊娠検査薬を持参wして5/25(土)に母親も含めてお見舞いに行った。


すると、酸素マスクをしているが普通にベッドに座っている父親がいた。


あれ?まぁキツイのだろうがまだ死ぬとかいったような状況ではないなと感じた。


そしたら父親は『まだ生きとうよ』と言っていたw


何気ない会話をしている途中も酸素マスクを外したりして、きつそうながらも話していた。


すると途中からキツくなったようで横になると言い横になって、繋がっている酸素濃度?を見ると74%まで下がっていた。


それまでは97%まであったものが急降下したのだ。


そりゃキツイはずだわな。


そして父親が横になって話さないながらも、母親と妻と3人で話していたら、妹家族が急に押し寄せてきた(*_*)


妹は、自分が妻に言わなかったように、旦那さんに言わずにいて、危ないことを悟って話したのだろう。


それで急遽きたのだと思う。


病室が狭く、病院の規定もあって、本来2人しか入れないものが大人数になった。


だから自分たち夫婦は出た。


そしたら10分くらいして母親から連絡が来て、戻ってきていいとのこと。


戻ると妹家族が帰り、また3人で話していると、看護師さんから怒られたようで、時間も15分しかダメなようだった(^^;


それを聞いて帰ろうとする前に、伝家の宝刀の妊娠検査薬の陽性反応の現物を取り出して、両親に見せた!


父親は横になっていたので、妊娠検査薬の箱を父親に見えるように掲げて、母親に検査薬を渡して父親の目の前に見せ『孫ができるばい』と言っていた。


父親は喜んで、キツイのに『2人のそれ(子供ができること)だけを心配して祈ってた』と言い、拍手をして喜んでくれた(^^)


もし死んだとしてもこれだけは伝えたかった。


自分にできる最後の親孝行として、結婚→子供というのがあって、一度は妊娠したものの流産し、そこから3年できず、おそらくみんなが諦めた状態だったと思う。


それて自分は強い想いをもって、ただただ子供を作るという最終地点だけを見据えて、毎月ダメでも気持ちだけは負けずに頑張ったし、神様にお祈りもしていたことがようやく形になった。


自分は呑気で物事をあまり深く考えないが、自分で決めた目標への執着があり、強く念じて気合を入れればなんだってできるとさえ思っている。


ただ子作りは1人ではできないところが難しいと思っていた。


もう少し早ければよかっただろうが、これは仕方がない(>_<)


でも父親も死んだわけじゃないし、復活まではしないだろうが、万が一、急に薬が効いて、来年子供が産まれるまでもつかもしれないという可能性はゼロではないと思っている。


父親は延命措置を拒否していて、先生と相談して、いよいよ最後のときはモルヒネ投与で楽に死にたいと伝えていて、もうそこまできている。


それでも自分は最後の最後まで子供が産まれるまではもってくれと祈ろうと思う。


自分ができる最後の親孝行を見届けてほしいと願っている。


そして厳しい看護師さんから追い出されるように病院を後にした。


その後母親も言っていたが、症状が急変するからいつどうなってもおかしくないとのこと。


それを目の当たりにしたから、ちょっと怖くもあったが自分にできることはやったし、次は明日の月曜日にでも行ってみようかと思う。


どうせ休みだしw


祈るのみです。