当たり前が、当り前ではなくなる生活が、
来るんじゃないかと思う一日だったのです。
from: 自宅
人は追い込まれると本性が出る。
そしてそれは、
天使か、悪魔か。
昨日は一日、名古屋へセミナー受講でした。
しかし日曜夜の巨大颱風の爪痕は凄まじく、
はーまつは日曜夜に停電。
家が暴風雨で揺れるなか、
「寝るしかない…」と寝て起きた朝。
なんと、まだ停電…
名古屋へ行くに待つバスも、
「信号消えてるから運休だよ」
と親切なおじさんに教えて貰い、
バイクに乗って駅へ。
道中無残な姿の建物、
消えている信号機。
譲り合う車のなかで、
我先に突っ込む車も。
駅は人で溢れ返る。
まだ空いているスタバで充電して、
人を待つ。
突っ込む車のドライバーの顔。
そして駅で待つ人の顔。
この状況を「しょうがないよ」と楽観的な人もいれば、
明らかにイラついている人も。
こんなとき、試される人間性、人格じゃないかと感じる。
自分もひと昔前は絶対「悪魔」だったと思う。
しかし悪魔であろうが天使であろうが
状況が変わるわけではない。
ならば皆で天使になったほうが、
きっと幸せなんじゃないかと思う。
時代の本当の転換期にいるんじゃないだろうか。
以前誰かから、
「2020年までは自然災害のくる間隔が早まるよ」
なんて聞きましたが。
今までそれこそ年に1~2回くらいのものが、
1か月やそれより短い間隔で起きると。
噴火、地震、水害、
でもそれは自然の成り行き、自然な姿であって。
実際生活に支障をきたすのですが、
それも「当たり前は、当たり前じゃないよ」
というサインなのかもしれんですね。
幸か不幸か、名古屋にいったために
不便さを感じることはなかったのです。
しかし停電が長期化しているのを聞き、
帰るとき食糧を買って帰りました。
普段の備え、いつでも冷静に。
そして取り乱すことないように日々最善。
お客さんに対する備え、ご対応も
常により万全であろうと感じる一日でした。
そして感じるだけではダメなんですよね。
人は、忘れる。
そして忘れたころに、やってくる。
日々これ常在戦場。
武士はそのなかで一時の静寂を生を楽しみ、
人生を歩んできたものといいます。
自分もその末裔であるならば、
人への優しさ、逆境にくじけない強さ、周りとの調和など
大事にできるものがたくさんありますよね。


