自分はけっこうな確率で、
物事をやりっ放し投げっ放しにしてしまいがち…
あなたはいかがでしょうか?


先日ひとつ、急遽の案件しましたが
せっかくやったならトライは1回じゃ
もったいないですね。

 


単発で終わらせてしまったら、
ただ単にやっただけで終わってしまう。
「こうしたら良かった」が見えてきたら
次の手を試してみたい。
TOYOTAがよく言う「改善」ですね。

 

 

このトライ&エラーが出来る人は
なんにせよ結果を出しているに違いない。
今日は信長さまエピソードからひとつ、

そんな例を出そうかと。

 

 


桶狭間の戦いの頃は、信長さまは未だ
尾張国を統一できていなかったんです。
そこから徐々に統一を図りつつ、
隣りの美濃国(岐阜県)へ進出していきます。


とにかく信長さま、
この「美濃が欲しい」に大変執着なされまして…

 

1560年(満26歳)に桶狭間の戦いで

今川家に大ダメージを与え追い返した信長さま、

尾張より東の地域は三河の家康に任せ、

自身は美濃進出をスタート。

 

 

なんと既に1560年に西美濃に侵入(2回)していま

した。どちらも撃退され撤退。

 

隠れた実力者・美濃を治める手強い斎藤義龍、、、
ところが翌年1561年に急死し、
すかさず信長さま再び侵入。


西美濃を奪取したものの、
犬山の織田信清が離反し撤退。

 

 

 

しかしここから足掛け7年、
1567年に美濃国を平定します。

 


その工夫がとにかくすごいんです。
粘る。諦めない。道を切り開く。

 

 

義龍の息子・当主の龍興と和議をして、
まずは国内の統一と強化に入ります。

 

犬山の辺りはまだ敵対勢力も強く、
ここで彼は理想の城を築き進み始めました。


そう、安土城よりも前に。

安土城が信長最初の築城と思いきや、

実は尾張時代に彼理想の城を

既につくっていたんですよ。

 

それが小牧山につくったお城。
そして城下町も作り上げます。
ここを拠点として国内統一と打って出ようとしたの

ではないでしょうか。


当時の感覚で言うと、
本拠地を移すのは父祖伝来の土地を離れるので、
選択肢がそもそもないんですよ。

そこを信長さまはやった。

 


聞いてみたんです。
「ねー信長さま、なんで小牧に移ったんです?」
「え?美濃に近いから

なんとも合理的なお答えですね…
目的のために最短を常に選ぶ、この姿勢。
しかし、犬山~美濃と一挙にいかず、
じっくりと攻略を進めます…

急いては事を仕損じる…

 


こうしている間に、
犬山勢の一部を切り崩し、

着々と地固めをしていきます。


一方美濃の斎藤龍興は遊興にふけり、
内乱が起きました。
やがて秀吉の軍師になる竹中半兵衛が

龍興の目を覚まさせるためにやったこと、でした。

 

しかしかえって斉藤家に動揺が走ります。

「ここで、大丈夫なんかいな…」

 

 


力を蓄える時期は、
徹底的にそこに注力する。
隣国斎藤家との違い、ですね。

 

 

短期的な場当たり的行動は

無駄になることが多いですが、

こうし目的に向かって積み上げるのは

無駄にならないどころの話じゃないんだ!!

 

 

しかし斉藤家もこのままじゃ終わらない。

起死回生の一手を打つ。

東の戦国最強軍団を引きこみにかかります。

 

 

長くなったから、また次回。