自ら目的目標を定めて邁進する人って、
本当にスゴイ人だと思う。
羨ましいし憧れる。
きっと困難を厭わない強い思いが
あるんだろうな…って思う。



想いと目的があって、
そんな人たちが集まれば凄い力になるし。



でも方向性は間違えてはならない。



目的目標に向けた行動が出来てて
結果も見えてくると実感が湧く。
でも成果がなかなか出ない事の方が多い…

 


今は世に出られず草葉の陰に居たとしても
修練怠らなければ機会はやってくるのかな、
なんてお話し。


「的を得る」という言葉がある。
もとは「的を射る」から来ている。
(さらにそれも元は「正鵠を得(射)る」)

物事の中心を的確に捉えてる、ということ。


これを凄まじい上司の無茶振りと、
悪条件のなかで体現した人が居る。


平家物語に出てくる、
那須与一宗隆、そのひと。

 



平安末~鎌倉時代の武将ね。
源平合戦のさなか、
「扇の的」の話を聞いたことありましょう。
その当事者。


当時平家は京の都も
平清盛が造った福原京(神戸)も失う。
しかし香川県屋島を根拠に勢力回復に努めていた。
もともと貿易で財を成した平家、船と水軍はお手のモノ。

一方陸戦猛者の源氏だが源義経が水軍を手に入れ、
屋島の戦いが始まった。


義経得意の背後からの奇襲に平家は慌てふためき、
陸地から船に乗って瀬戸内海へ逃げ出す。
そこから反撃開始するも一進一退で夕方に休戦。

ここで扇の的の舞台へ。


平家は武門とはいえ公家化して雅なことが好き。
船の中で「ちょっと余興しようよ」と緊急企画!


「船の上に立てた扇を源氏が射落とせるか挑発してみようか!」

平家の船から女性が出て、

彼女は自らの扇を舳先の竿先端につけ、

「これを射てみよ」。


血気盛んな大将義経、売られたケンカは買う主義。
「これに応える勇の者は居らぬか!!」
と源氏のプライドを賭け配下の武将に号令をかける。

しかし歴戦の兵も二の足を踏む…
海の上で揺れる扇、

そして源氏のプライドを賭ける大舞台、

その距離約70メートル。
ビル20階建て以上の距離…


尻込みし言い訳侍が多数のなか、

推薦されたのが与一。

「え?」

そらびっくりですよ。
しかも兄が推薦しちゃったというし。
まだ中学生くらいのお年頃。
 

 

「義経様ごめんなさい!!そんなのムリムリ!!」


「やって」

 

「船の上で扇揺れてますよね」

 

「やって」

 

「自分弓得意ですけど海風で飛ばないですよ!!」

 

「やって」

「はぁ…わかりました。もうどうなっても知りませんよ!!」

 


与一は武家の神様(八幡神)、地元と日本の神様にお祈りし、

 

もし射損じたら顔向けできない。

 弓を折って自害する。

 もしもう一度地元に帰ることができるなら、

 矢を外させないでくれ

 


と決死の覚悟で射った矢は…

見事的に当て、面目を保ち勇名を馳せた!
(古典の授業にもあるシーンね)


この余興に感激してひとりの老兵が船の上で舞いを踊り始めた。
なんと与一、彼も射てしまうという…
弓の実力がまぐれでないことを証明したとか、
「あれも殺れ」と命令されたとか。。
与一、敵味方から批難されてます…



与一は幼いころから弓が上手で、
親から「お前天才だ」と褒められて育ったと言う。
自信がついて、

好きになって、

時間を忘れて稽古して…

訓練のせいで左右の腕の長さが違ったなんて言われている。
 

 

そしてチャンスには、

己の技能と自分の誇りを持って、事にあたる。


普段の訓練や実践もあって、
腕に確かな自信が持っていて、
一躍世に出る舞台が与えられるのでしょう。



こんな人物が歴史には目白押し。


チャンスに備えるためにも、
常に目的と言う的は外さずにいたい…。



本当にこんな話しがあったのか…??
いやいやそこは詮索なしで(笑)