我が家の中学受験に対する姿勢は、私も主人も本質的な部分では一致していると確信はしていますが、学校選びについては、完全一致には至っていません。

 

保育園から大学までを国公立・共学のみで育ってきた主人(関西人)なので、そもそも関東の私立校を知らないうえに、特に研究してみようという姿勢もみられず。

 

「ツクコマとかいいんじゃない?」と無邪気に言ってくるレベルです。

そ〜だね、男の子だったらね〜…

 

「本人に任せるよ!」と物分りのいいことを言いつつも、 “女子校”については、ちょっと引っかかっている気配があります。

いまだに「良妻賢母を育てる学校」のようなイメージも持っているようだし、社会とは違う「異性のいない空間」で過ごすことに少々違和感を持っているようです。

 

本格的に志望校を決める段階に入り、娘が女子校に行きたいと言った場合、別学に違和感を持っている主人と、対決する日がやってくるかもしれません。

 

その対決時に、よく女子校の特徴を伝える時に使われるフレーズ

 

女子校の子は、重い荷物も自分で持つんだよ!💕自立してるんだよ!

 

という説明では、到底主人を説得できないと思うのです。

私自身が、まだ、このフレーズに集約されている“女子校が育てる自立心”について、正確に説明できる言葉を持っていないからなのですが。

 

私自身が別学の是非に悩んだ時に読んで、しっかり腑に落ちたのは、

 

—別学という、社会とはあえて異質の空間をつくることで、

社会のなかでは発芽してこない、あるいは育たないものが、育つこともあるのではないか。

それを発見して磨いて伸ばしてあげられるのが別学なのではないか。—

 

というJGの鵜崎院長の言葉でした。(『進学レーダー 2019年 3&4月号』)

 

そう、あえて社会とは異質の空間で学ぶ6年間

 

それは、男女別学に限らないことで、

 

帰国子女が2割3割いる共学の学校も、社会とは完全に異質だし

通学圏に住む子だけが通えるという意味でも、十分異質だし、

同じ大学に進むことがほぼ決まっている学校空間も、相当異質なわけで

 

その異質な特別な空間で育つ、子供のなかの特別な何かを、大切にしてあげたいという気持ちがあれば

別学か共学か、という枠で区別する必要がないのかもしれない、と思うのです。

 

こういう気持ち、主人も同じように持っていてくれると思うのですけれど。

決戦の日はいつ来るのでしょうか…。