学校が夏休みに入り、夏期講習に黙々と通う日々を過ごしている娘です。
かの、きょう子先生が、
「9月の時点で、心も体もそれなりに健やかであれば、万々歳ですよ!」
と、この夏の過ごし方についてお話しされていた言葉を盾に、
ゆるゆるペースで過ごしているのですが、甘いでしょうか…
さて、実は春の休校期間中、読む本を切らして(我が家はもっぱら図書館派のため)退屈している娘のためにiPadを買い与えたのですが、それ以来、Kindle読み放題で探した歴史マンガばかり読むようになってしまいました。
紙&活字の本を読めなくなっていたらどうしよう…
と心配ではあるものの、塾の国語テキストで骨のある文章に一定の頻度で触れているのだから、まあしばらくは目をつぶることにしています。
そんな国語のテキストで先日取り上げられたのが、こちらです。
『ぼくたちはきっとすごい大人になる』(有吉玉青)
この日、娘の読解記述の出来栄えが、とっても良かったので、感想を聞いてみると
“クラスメイトが突然亡くなる”という自分の日常から想像できない設定であるがゆえに、却って文章に素で向かうことができた、ということのようでした。加えて、読後感も清々しかったと。
なるほど!
「文章読解は共感することではなく、書かれていることを客観的に理解することである」と、常々国語の先生に言われていることが、分かりやすく結果に出たパターンだったというわけです。
さて、この
『ぼくたちはきっとすごい大人になる』
というタイトルから、ある本のキーワードとなっている言葉を思い出しました。
『君たちは今が世界』(朝比奈あすか)
(昨年度のカイセーなどの入試に取り上げられた本なので、中学受験生をもつご家庭では読んでいる方も多いかと思います。)
のなかで、教師が発する
「皆さんは、どうせ、たいした大人にはなれない」
という言葉です。
『ぼくたちはきっとすごい大人になる』とは、対局の言葉ですよね
教師が担任するクラスの生徒をひとくくりに、「皆さんはたいした大人になれない」と、「どうせ」という救い難い放棄の言葉とともに切り捨てたセリフ。
この辺りのくだりを読むにつれ、自分の中にも、この教師のこの瞬間の気持ちに共感できる部分があることに気づいてしまった私は、読み進めるのは辛くなってきてしまったのですよね…。
もし、この作品のこの箇所で読解問題が出題されたら、共感が邪魔をして私は全然得点できないことでしょう〜。
実際のカイセーの入試では、全く別の「え?ここ?」という部分が出題されていましたね
読解と共感の難しい関係、ですね。
話が行ったり来たりしますが、
前述の『ぼくたちはきっとすごい大人になる』。
早速図書館で借りて全編を読んでみましたが、子供の心の機微をふわりと表現した、とても素敵な作品だと感じました。子供の目線で書かれていると評価されている作品でも、「子供ってこういうものでしょ」と結局大人が決めつけた子供像を押し付けてられてる感が残るものも多いなか、こちらは、なんだかとても納得感が残った作品でした。
先生、これからも読み応えアリ、且つ爽やかな読後感が残る題材を楽しみにしています!