冬至 | Thinking and Sinking

冬至

先週の今日は、冬至だった。

今年の冬はなんも忙しくないので、夜が少しずつ長くなるのをすごく身近に感じる余裕があり、なんだか「夜が長くなる」っていう甘美なかんじにワクワクすらしてきちゃって、一年で一番夜の長い冬至をすごく楽しみにしてた。

一年で一番長い夜。

夜のこと帳(とばり)って言うけど、確かに夜は重いどん帳みたいで、それが一番長いわけだからなんか重厚で本格的で、ロイヤル度で言ったら皇室級に公式な雰囲気があるでしょう。

ということで、一年で一番長い夜の導入部分を楽しもうと、冬至の日、私は暗くなりかけた午後4時半に家を出て、近所で一番空が広く見える土手を散歩してみた。

雨が降って寒くて、傘を持つ手がキンキンに冷える中、見える景色が徐々にノイズがかって、夜になっていく。

なんかいいじゃーん。

こうやって自分で日常生活の中でわざわざ儀式をこしらえて、自分を酔わせることが私は好き。

まぁ要は映画とかドラマの影響なんだと思うけど、いわゆるドラマチックなシチュエーションを日常に持ち込みたがる癖がある。

映画の中の美しい景色を見て感動するように、実際の景色で感動したがる。

まぁ、日常を贅沢にする技術って言えないこともないので悪いことではないんだけど。

でも、最近ようやく、近所の川を散歩しながら気づいたのは、景色を見て心がなにかを感じるとき、「映画みたいな感動の仕方」だけが唯一の方法じゃないってことだ。

はっきりばっちりあからさまに感動できる景色だけがいいんでもない。

たとえば単なる川、土手のすすき、枯れかけた柿の木、カラス。

そういうものから感じる、ちいさな感じのこと。

いわゆる「風流」とか、そういうことでもなくて、なんなら、近所の家の庭の南天の実にも、近所のドブ川にもある、特別劇的な効果をくれるわけではない、ちいさな感じのこと。

RPGで言う、やっすい薬草みたいなささやかな毒消し効果。

少しだけ、目が澄む感じ。

そういう感動は、映画にはけして描かれない。
(だって、たとえ映画監督がそういうちいさな薬草効果を意図して取った映像でも、見る側は映画を見ると言う行為にすでに「映画で感じる感動」を意図してしまってるから、その映像を見てもそういう薬草みたいな効果は感じ取れないと思う。)

ありきたりな言い方だけど、子供のときは当たり前に感じてた、あの感じ。

これをようやく思い出せたことが、この無為な年の無為な暮れの掘り出し物。