とある命が散ったのは、1850年12月21日。
その命は、養寿寺に眠っている。

“命”というのは国定忠治です。
沢山の映画や舞台になり、有名な俳優が演じ続ける国民的ヒーローとして持てはやされている。
そもそも、なぜ、持てはやされているのか?
そして、なぜ命を落としたのか?

調べてみると、旧暦1850年12月21日、1500人の人々が見守る中、国定忠治は磔にされ、槍で何度も何度も突かれ、絶命したそうだ。

江戸時代での罪は多くあれど、中でも大罪と記されているものは
『放火』
『心中』
『関所破り』
国定忠治は『関所破り』を働いたことで、勘定奉行配下でもある 関東取締出役に御用となった。
国定忠治は何故関所破りをおこなったのか?
それは、信州で殺された義弟の仇を討つためだった。
たしかに博徒である国定忠治に関所の許可など下りるはずがない。
だが、関所破りは死刑だ・・・。
きっと考えたでしょう。
『義』か『死』か・・・。
考えた末、義理人情を選んだのでしょうね。

《国定忠治の説明》
反骨を貫いた博徒国定忠治は、
二十歳で賭博集団「国定一家」を旗揚げ。
殺人、関所破りを犯し、お尋ね者になった。
権力側からみると大悪人である。
しかし、1835年~1837年の間続いた天保の大飢饉の時には、
私財を投げ打ち、日本中であふれる餓死者を救った。
また灌漑用の磯沼の浚渫を行い、農民救済に励んだ。
(wikipedia)
捕まった時は病床だったという。

国定忠治の晩年を支えていたお徳は、処刑された大戸の関所から忠治の遺体を盗み出させ、頭部は養寿寺へ収め、腕を自分の家へ持ち帰り、その後善應寺へ移動されたそうです。
養寿寺には頭部が眠っているとされています。

歴史の解釈は捻じ曲がることもしばしばだ。
「弱きを助け悪政は許さず、義理人情に厚い」という人物像は後世に脚色されたモノかも知れない。
真実は誰も知りえない。
ですが、自分の心のままに生きた大人物であることは真実だろうと思いました。
養寿寺
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