世界のオザワ。歯医者の息子。父開作さんは、苦学の末に旧満州の長春(新京)で開業した歯科医。桐朋学園で斎藤秀雄に師事していた頃には、草創期の群馬交響楽団を指揮。移動音楽教室を指揮した記録も残っています。群馬県民の中には、オーケストラ初体験が世界のオザワ指揮だった方がいるのかも。単身海外に乗り込みコンクールで優勝するもなかなか仕事が無い。群響の父丸山さんからは日本に戻るよう熱烈なラブコールが。小澤征爾さんも乗り気でしたが、井上靖氏に一喝され海外に踏み止まる決意を固めたそうです。その後の活躍は報道の通り。群馬交響楽団に戻っていたら、世界のオザワの今は無かった。若者は苦難に耐え高い志を持つ事も大切。小さくまとまろうとしては駄目ですが、夢への見切りをつけるタイミングの大切さも感じます。