歴史ロマンの超大作?!家系図に思いを馳せる | わが子が好きになる手作りアルバムアドバイザー・四児のママ・秋山ヤスコブログ

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群馬県で4人の子どもを育てながら、スクラップブッキング教室を開催しています。頑張り過ぎて育児に疲れちゃった人、子育ての息抜きがしたい人、写真の整理に悩む人、趣味を見つけたい人、ママ友が欲しい人におススメです☆

私の旧姓は「長沼」と言います。

 

家の発祥は鎌倉時代の終わりか

室町時代初期の頃で、

南北朝時代に足利方の武将として

後醍醐天皇方を責めたというのが

最初の歴史として伝わっています。

 

そんな家なので、家系図というか、

戸籍的な系譜?のようなものが残っていて、

原本は長野県飯田市のお寺に

残されていたらしいのですが、

それを祖父が書き写したものが

祖父の家に残されているらしいのです。

 

らしい、らしいと推測ばかりなのは、

私がそれを見た事がないから。

 

何度も父からその話を聞いていたので、

祖母や伯母に何度も見せてと頼んだのですが、

どこかにしまい込んでしまって分からん

と言って見せてくれなかったので、

失礼ながら、

 

祖母と伯母が亡くなったら

家探ししてやろう

 

と子供ながらに思っていました(笑)

 

 

先日、伯母の葬儀でその話を従姉妹にしたら

「私も1回しか見た事ないんだけど、

その時写真撮ったから送ってあげるよ」

と言って、写真を送ってくれたんです

 

感激~ラブ

 

ちなみに、その従姉妹も

もう2度と見せてもらえないかもしれない

と思って

慌てて写真を撮ったと言っていました。

 

戸籍的な系譜のようなものと

父から聞かされていたので、

家系図のようなものを想像していたのですが、

実際は年表のようなものでした。

 

 

 

年表が残っているのは室町時代の終わりからで

 

室町時代の終わり~戦国時代頃

下野国小山城の城主でした。

 

その後、退城し、長野県の知久氏が治める

神之峰城に剣士として招かれたようですが

その後、武田晴信(信玄)に攻められて

神之峰が落城すると、故郷の飯田に戻り

徳川家の天領の村長となったそうです。

その後は、写真ではよく分からないので、

これは是が非でも実物が見たい!!

 

問題は、それがどこにあるか!

 

写真を送ってくれた従姉妹が

多分、この辺にあると思うから

探してみーって言われたので

今度帰ったら、探してみたいと思います。

 

そう言えば、伯母が亡くなったので

伯母が持っていたもの

もしくは祖母の家にあったもので

いるものある?

って聞かれたのですが

 

①生前、父がもらう約束をしていた小さい棚

 (今風に言うとディスプレイ棚的な?)

②黒電話

③父の若い時の写真

④家系図(さっきの写真のやつ)

 

と言ったら、みんなきょとんとしてました。

 

だって、私

アクセサリーとかほとんど付けないし、

着物はもう腐るほどあるし、

茶器の価値は分からないし。

そもそも、私、祖母の家に

何があるかほとんど知らんし(笑)

 

そう思うと、歴史のロマンに夢を馳せられる

家系図の方が私には

ずっと価値があるものに思えます。

 

あー、早く、実物が見たい!!

 

しばらくこの写真で妄想が捗りそうです(笑)