私の旧姓は「長沼」と言います。
家の発祥は鎌倉時代の終わりか
室町時代初期の頃で、
南北朝時代に足利方の武将として
後醍醐天皇方を責めたというのが
最初の歴史として伝わっています。
そんな家なので、家系図というか、
戸籍的な系譜?のようなものが残っていて、
原本は長野県飯田市のお寺に
残されていたらしいのですが、
それを祖父が書き写したものが
祖父の家に残されているらしいのです。
らしい、らしいと推測ばかりなのは、
私がそれを見た事がないから。
何度も父からその話を聞いていたので、
祖母や伯母に何度も見せてと頼んだのですが、
どこかにしまい込んでしまって分からん
と言って見せてくれなかったので、
失礼ながら、
祖母と伯母が亡くなったら
家探ししてやろう
と子供ながらに思っていました(笑)
先日、伯母の葬儀でその話を従姉妹にしたら
「私も1回しか見た事ないんだけど、
その時写真撮ったから送ってあげるよ」
と言って、写真を送ってくれたんです
感激~
ちなみに、その従姉妹も
もう2度と見せてもらえないかもしれない
と思って
慌てて写真を撮ったと言っていました。
戸籍的な系譜のようなものと
父から聞かされていたので、
家系図のようなものを想像していたのですが、
実際は年表のようなものでした。
年表が残っているのは室町時代の終わりからで
室町時代の終わり~戦国時代頃
下野国小山城の城主でした。
その後、退城し、長野県の知久氏が治める
神之峰城に剣士として招かれたようですが
その後、武田晴信(信玄)に攻められて
神之峰が落城すると、故郷の飯田に戻り
徳川家の天領の村長となったそうです。
その後は、写真ではよく分からないので、
これは是が非でも実物が見たい!!
問題は、それがどこにあるか!
写真を送ってくれた従姉妹が
多分、この辺にあると思うから
探してみーって言われたので
今度帰ったら、探してみたいと思います。
そう言えば、伯母が亡くなったので
伯母が持っていたもの
もしくは祖母の家にあったもので
いるものある?
って聞かれたのですが
①生前、父がもらう約束をしていた小さい棚
(今風に言うとディスプレイ棚的な?)
②黒電話
③父の若い時の写真
④家系図(さっきの写真のやつ)
と言ったら、みんなきょとんとしてました。
だって、私
アクセサリーとかほとんど付けないし、
着物はもう腐るほどあるし、
茶器の価値は分からないし。
そもそも、私、祖母の家に
何があるかほとんど知らんし(笑)
そう思うと、歴史のロマンに夢を馳せられる
家系図の方が私には
ずっと価値があるものに思えます。
あー、早く、実物が見たい!!
しばらくこの写真で妄想が捗りそうです(笑)