5.鐘楼の屋根
鐘楼の屋根は風雨や直射日光を避けて柱・組み物・梵鐘を守る本来の役割のほかに、建物の美観や荘厳さを演出する重要な役割を担っている。昔の鐘楼は雨から守ることが大切であったので、屋根の勾配を急傾斜にして雨の流れをよくし、さらに屋根の雪も容易に落ちるようにした。現代では屋根材や軒構造「拮木(はねぎ)」の発達によって屋根に反りを持たせる大屋根にしている。
屋根の種類には書物を半開きにして伏せた形の「切妻(きりつま)」、妻側を三角にした「寄棟(よせむね)」、切妻の下を梯形にした「入母屋(いりもや)」、ピラミッド形の「宝形(ほうぎょう)」などがある。
特種な屋根には東北や北陸地方の古民家で見られる草葺の兜(かぶと)屋根。或いは大屋根から軒までを二段にした錣(しころ)屋根。或いは赤城型養蚕農家で見られる、二階中央部分だけを開いた屋根などもあるが、鐘楼の屋根では使用されることはない。
◇屋根の呼び名
・切妻造り
屋根の最高部に当たる水平の棟(大棟)から二方に傾斜する屋根である。最近の文化住宅の屋根には少なくなったが、過去には一般住宅の代表的の屋根であった。
鐘楼の屋根には、室町時代の建立と言われる富岡市・竜光寺。明治中頃の建立と言われる桐生市・長泉寺。建立年不祥の沼田市・正覚寺(写真)など何れも古く、鐘楼の規模も床面積は10㎡ほどの小さい袴腰鐘楼である。この古い鐘楼に対して昭和44年建立の桐生市・西方寺や平成6年建立の川場村・吉祥寺は新しい切り妻造りの吹放し鐘楼であり、床面積40㎡余りの大きな鐘楼である。
このように切妻屋根の鐘楼は、建立年次や鐘楼の型、規模を問わず使用されているが、県下の切妻造りの鐘楼は東部にやや多いが県下119鐘楼のうちでは5%程度に過ぎない。
・寄棟造り
棟から四方に流れる屋根である。鐘楼の屋根は一般住宅の屋根に比較して小さいので、棟が小さいので宝形造りと見間違う鐘楼もある。明治時代には寄棟と宝形が混同して使われた時期もあった。寄棟造りの鐘楼の型式は種々あり、袴腰鐘楼には1708年以前に建立したと思われる子持村双林寺。鐘楼門には後代に改修したと思はれる中之条町宗学寺。二層吹放し鐘楼には昭和五十九年改修した新田町福蔵院勝光寺。吹放し鐘楼には年次不詳であるが、柱の損傷の激しい古い鐘楼の明和町宝寿寺(写真)など何れも古い鐘楼に使われている。寄棟造りの鐘楼は県内では6.7%だけである。
・宝形造り(方形)
棟がなく四方の勾配が上方で一点に結ばれる、この上に宝形と言う先の尖った円形の宝珠を四角の露盤の上に乗せて屋根の頂点におく。宝形造りには勾配が六面や八面になる屋根もあるが、県内の宝形造りの勾配は館林市遍照寺のように全部四面である。(写真)
宝形造りの屋根は県内119鐘楼のうち24鐘楼(20%)に用いられ、西毛に多い、これを年代別に見ると20鐘楼は古い時代のものであり、新しい鐘楼は吹放しの四鐘楼である。また、鐘楼の型式で見ると袴腰鐘楼の4分の1が宝形造りの屋根で他の鐘楼よりも高率である。宝形造りの屋根材は銅版が最も多く、次いで桟瓦・鉄板の順である。現在亜鉛鉄板を使用している箕郷町・松山寺は古い鐘楼であるが、住職の話によれば過去は藁屋根であったという。
・入母屋造り
棟から二方向に流れる屋根を「平」と称し、切妻から出る梯形の屋根を「妻」という。入母屋造りはこの妻降りの上にある三角形をした切妻に、構造材や装飾を施した部材を備える。入母屋造りの屋根は、どの様な型式の鐘楼でも多く使用され、袴腰鐘楼では60%に使用され、吹放し鐘楼では53%、さらに鐘楼門になると約90%が入母屋造りである。また、昭和・平成年代に建立された38鐘楼のうち82%が入母屋造りであった。(桐生市・大雄院/写真)
◇屋根の材料
現在の鐘楼の屋根は銅版と瓦が主体であるが、古くは安中市・桂昌寺や箕郷町・松山寺の屋根は草屋根であったという。しかし、火災や資材の入手困難のために多くの草屋根は銅版や亜鉛鉄板その他の資材に葺き替えている。現在草屋根の形を残しているのは尾島町・総持寺鐘楼だけである。寺院の門などにはこけらぶき杮葺や板葺が用いられていたので鐘楼の屋根もこのような資材が使われていたかもしれない、しかし、今では寺伝にも残らず知る由もない。
・本 瓦
本瓦は寺院建築の主流をなし、過去には一般家屋でも本瓦を使っていたが、江戸時代に軽量な桟瓦(さんかわら)が作られるようになってから、今日では桟瓦が主流になっている。
本瓦葺きは半円筒形の丸瓦と弧形に曲がった平瓦を交互に並べて屋根面を覆う方法である。瓦屋根にはこのほかに棟に使う行基瓦(ぎょうきかわら)と称する瓦があり、さらに、軒先には巴瓦(軒丸瓦)と唐草瓦(軒平瓦)がある。巴瓦には梵鐘の撞座の文様に似た単弁蓮花文、複弁蓮花文、菊花様文、巴文、などの文様がある。安中市松岸寺本堂にある軒唐破風の巴瓦には十六葉の菊花文(皇室の紋章に同じ)が描かれている。唐草瓦の文様は梵鐘の上帯や下帯に描かれている忍冬唐草文や一般の唐草文の意匠がある。(棟飾り/写真)
本瓦は本堂の屋根に多く見受けられるが、鐘楼では昭和30年建立の前橋市橋林寺吹放し鐘楼のほか、袴腰鐘楼あわせて4棟(3.5%)に見られるだけである。
・桟 瓦
江戸時代から使用が始まり、現代の一般家屋でも多く使われている。この瓦は丸瓦と平瓦を一つにした波状の瓦である。軽量のために屋根葺きが容易なので広く普及している。
県内の鐘楼では二層吹放し、吹放し、袴腰鐘楼で37%使用され、全鐘楼で最も多く使用されている屋根材である。
・銅 板
銅板葺きには二つの型式があり、その一つは銅板を木型で丸瓦と平瓦を造り本瓦式に葺いた屋根である。桐生市大雄院の吹き放し鐘楼で見られるが県下では非常に少ない。しかし、本瓦葺きと同様に重厚さを漂わせる鐘楼の屋根である。他の一つは一般的に使われている型式で、銅板の平板を組み合わせて平らに葺く屋根である。
銅板葺の鐘楼は袴腰鐘楼29%、吹放しと二層吹き放し鐘楼54%である。とくに吹放し鐘楼のうち昭和・平成時代に建立された28鐘楼の銅板葺は約70%に達し近年多く使用されている。この理由の一つとして銅板が瓦よりも軽いので柱の荷重が小さいことが大きな理由であるが、草屋根が火災の危険や資材の入手困難のために改修する際に、昔の草屋根の形をそのまま残すときに銅板葺きは容易であることも理由の一つである。この例として、安中市・桂昌寺鐘楼の屋根がある。
・亜鉛鉄板
銅板のように平板を平らに葺く場合もあるが、多くは屋根に適当な幅に木の桟を打ち付けて、その上から亜鉛鉄板を覆う桟葺きが普通である。一見、銅板本瓦式と見誤るが鉄板桟葺は桟の間隔が広く、桟が細いので容易に見分けることが出来る。亜鉛鉄板は県内鐘楼の約10%で用いられているが、その多くは古い袴腰鐘楼であり後代に葺き変えたとも考えられる。
・萱 葺
古民家ではかや萱葺の屋根が多く見られる、この材料はススキ・チガヤを刈りとって乾燥させたものを屋根材としたもので、現在では資材の入手困難、屋根葺き職人の人材不足、火災の危険などにより使用されることは絶無である。昔の鐘楼では古民家や古いお堂の萱葺屋根と同じように各地で見られたと思うが、今では尾島町・総持寺鐘楼でみられるだけである。最近、近くの由緒ある普門寺本堂が焼失したが、幸いにも境内の一隅にあって、本堂とともに長い間住民に親しまれてきた二層吹放し鐘楼は、瓦屋根であったために類焼をまぬかれ、同時に天和元年(1681年)鋳造の梵鐘も無事であったと言う。総持寺も県下唯一の貴重な鐘楼と梵鐘であるので大切に保存されることを願いたい。
・その他の屋根葺材料
現在見られる鐘楼の屋根材は瓦・銅板・鉄板・萱の四種であるが、寺院の門や歴史的寺院ではそれ以外の材料が使われている。杉・楢(なら)・椹(さわら)の厚さ3mmの板で葺いた「杮葺(こけらぶき)」。厚さ9mmの板を三乃至九枚重ねた「栩葺(とちぶき)」、檜の皮で葺いた「桧皮葺(ひわだぶき)」がある。杮葺きは松井田町・不動寺八脚門。栩葺は延暦寺、桧皮葺きは室生寺や京都御所などの屋根に用いられている。
しかし、県内の鐘楼ではこのような屋根材を見ることはない。
◇地域別屋根型式の変化
鐘楼型式は地域によって差があることは前述の通りであり、屋根型式を地域別と鐘楼の様式の変化で見たのが第1・2表である。その結果、各地とも入母屋が最も多く、ついで西北毛は宝形が多い、中毛は75%が入り母屋造りで他の様式は少ない、さらに東毛は入母屋造りが最も少ない地域であるが切妻と寄棟が他地域に比較してやや多い。この理由を調べてみると宝形造りは袴腰鐘楼に多く、この袴腰は西北毛地域に多いことがあげられる。切妻と寄棟は古く狭い鐘楼に多いので、床面積10㎡以下の鐘楼を地域別に見ると、西北毛は14%、中毛は0%、東毛は30%であった。このように東毛地域は古く狭い鐘楼が多いので切妻と寄棟が多くなったのが大きな理由ではなかろうか。