大分遠征初日はジョイフルで急いで昼を食べて昨年見られなかった大東亜戦争の史跡巡りをしましたー。
まずは、宇佐空の郷へ行って史跡巡りのマップをいただきに行きました。
こちらの説明:
市内に残る戦争遺構巡りの拠点施設です。建物は宇佐海軍航空隊の本部庁舎をモチーフとしており、敷地内には、正門門柱の復元モニュメントを設置しています。また、施設内には、宇佐海軍航空隊正門門柱の1基を実物展示しています。




こちらのスタッフのおじさんがこの日、近くの会場で大東亜戦争の討論会みたいのやっているから時間あればとご紹介してくれたのですが、そのチラシに知覧の八巻さんが講演する方の一人で
びっくり!題材も大東亜戦争の歴史を語り継ぐについてでした。
戦後81年も過ぎちゃったから当時を知っている方はもはや少ないんですよ。それについてだったみたい。
で、この日の夕方に八巻さんにひさびさ我々も宇佐にいたことを連絡してみたら、返信をくれたのですが、昨年10月に知覧の語り部でとってもお世話になったじゅんろうさんが旅立ってしまったとのことを教えてくれました。
御年97歳とのことですが、長い間知覧に行くたびにお世話になりました。武家屋敷を案内していただいたり懐かしいなー。
寂しい限り。昭和は遠くなりましたね。じゅんろうさんには感謝でいっぱいです。知覧にも久しぶりに行きたいんだけどなかなかいけないなー。でもそのうちまた行こう!
史跡巡りのマップよりまずはこちらへ。
宇佐海軍航空隊 耐弾式コンクリート造建物
説明:
宇佐海軍航空隊の受信所と考えられているコンクリート製の建物で、防弾効果等をあげるために、外壁の厚さが45センチメートルと頑丈な構造となっています。




最近整備されたようですが、当時の建物がそのまま残っているのはすごい。でもはっきり何に使われていたかわかんないらしい。
何も資料ないのかしら。




アメ公戦闘機の弾丸痕もしっかりと残っている。







貴重な建物なのですが、当時どんな感じで使わていたのかな
ってCGとか作っていただけるとなおさら想いを馳せることができていいなと思います。
予想でいいと思うのですが。
で、次はこちらに。
電信室跡 (でんしんしつあと)
説明:
宇佐海軍航空隊の通信室とされる建物で、防弾効果を上げるために半地下式の構造となっています。
こちらは看板も何もなかったですー。マップだけを頼りに
到着。




滑走路があったのかなと思わせる一本道。

中は半地下。夜は怖そうだ。







分厚いコンクリートで厳重な建物でした!






この橋緊張感あります。
こちらも戦時中は中で兵士の方々が重要な仕事をしていたと
思います。今は単なる廃墟みたいになってしまっているが
当時がどんな感じだったのかわかると嬉しいな。
想いを馳せるよなー。大東亜戦争の時代は当然生まれていないけど、今の帰化人に侵略されている情けない日本を再建しないといけないからますます大東亜戦争に想いを馳せるよね。
日本人がなんで祖国で肩身狭い思いするわけですか?
日本人差別。最悪。気持ち悪い。
帰〇人、在日、公〇党、共〇党、47、朝〇人、ク〇ド人、その他反日日本人は日本から出ていけ。と思います。47へ行け。
そしていいかげんに日本人は危機感持ちましょう。やばいよ?
で、次はこちらに。

宇佐海軍航空隊関係 爆弾池
昭和20(1945)年4月21日に米軍の爆撃機B29が宇佐に初めて飛来し、11分間に136トン以上の爆弾を投下しました。その爆撃によってできた穴に水が溜まり、池のようになったことから「爆弾池」と呼ばれています。
かたわらの展望台からは航空隊敷地跡を一望できます。







爆弾池というけど、実際これ落ちた時って阿鼻叫喚ですよねえ。。。日本人が虐殺されたわけでしょ?一般人が。
で、また思うんだけど、ぱよくが戦争反対とかあほみたいに
いってるけど、47とか周りの国は軍備増強しているのに、
日本だけ丸腰で言い訳ねーだろばかが。話し合いのできる国じゃねーんだよ。日本も軍事力強化する必要あるにきまってんだろーが。核もまわりがもってんなら日本も持つ必要あるにきまってんだろーが。ぱよくのいうことは少数派なので全部無視しないと
やばいよ?本当気持ち悪いにつきる。




月光の夏を思い出すね。

雲の墓標って好きな小説なんですが、今思うと
宇佐空がモデルになっていたんだー。もう何十年も読んでないから、今読んだら当時よりは知識あるからわかるかもね。
雲こそわが墓標。。。😿




宇佐市はまともな教育委員会なのか
ちゃんと整備していただきありがとうございます。





次はこちらに。
滑走路跡
かつて滑走路があった場所には、フラワーロード2号線(市道)が通っています。道路沿いには、特攻隊員を見送った人をイメージしたモニュメントと、米国から送られたハナミズキが植えられています。

甲飛会の方々ももうほとんどご存命じゃないだろうな。。。







次はこちらに。
城井1号掩体壕
掩体壕は、軍用機を空襲から守るための施設です。
市内には、コンクリート製で屋根付きの「有蓋掩体壕」が10基、コの字型に土を盛り、上を木などで覆って飛行機を隠した「無蓋掩体壕」が1基残っています。
城井1号掩体壕の内部には、国東沖で引き揚げられたゼロ戦のエンジンとプロペラが展示してあります。

ここはおそらく10年前以上にきたんだけど、そのときは
ここまで整備されていなかったと思います。









宇佐空からもこれほど多くの若者が祖国のために
特攻戦死されています。
それをゆがんだ歴史教育しないでほしいですね。
NHKとか特に。老害の池〇とかあいつなんなの?
特攻隊の方々もさぞかし呆れているだろうね。
なんとかしてほしいよ、もう。特攻隊の方々の怨霊が
今の日本をなんとかしてくれないかなー。
愛国心がなさすぎるんだよ。教育が悪い。軍人勅諭を毎日
唱えろ。





で、次はこちらに。
中型掩体壕 (ちゅうがたえんたいごう)
幅43メートル、奥行23メートル、高さ9メートル
中型機と呼ばれる2つのエンジンを持つ軍用機が格納されていた施設で、1945年の4月に建てられました。
地上部分の大きさは国内最大級と言われている掩体壕です。中型掩体壕の建造には、海軍の技術士官の指揮のもと、朝鮮人労働者が駆り出されたと言われています。
掩体壕の中には、一式陸上攻撃機と呼ばれる飛行機などが入れられていました。



一式陸攻がはいるってでかいよね!


ここから下は移動しながら写真だけ撮影。


素晴らしい快晴だったので、一日目に多く回れましたー。
大東亜戦争も遠くだなあー。長い歴史の中では81年前なんて
さいきんだけど、人間の一生からすると81年はもう当時戦ってくださった方々はほとんどいないわけですからねえ。。。
20歳でも101歳。
そう思うと、今を生きるって大事だよねって改めて思います。
先人の皆様に感謝です。日本人のみんなもそうしてよね。
元気に史跡巡りできたことに感謝です!!!
何より健康第一!!!!!