野村 哲也 さんのFacebook投稿から
星野さんの言葉を送ってくれるKさんから、メールが届いた。
彼女自身が悩み、星野さんにアドバイスをもらったときの話だという。
「アクシデントも、そんな前から起こると決まっていたのでしょうか?」
その答えだった。『』が星野さんで、「」がKさんの言葉。
『順番に並んでいるのではなく、寸部の狂いもなく、描かれていった』
「どなたが描いたのでしょう?わたしたち各人が、ということでしょうか?」
『地球を愛する存在であり、地球そのものかもしれない。(伝えることを仕事として公にしたことを後悔しているようだが)わたしは、写真の道に進んだことを、あの死に方であっても、後悔したことは無い。当初は、撮り残したような気がしたものだが、今はそれも全く無い。それは、多くの人々が写真を撮るたびにふと、わたしに想いを馳せてくれたり、中でも哲也…あいつが満たしてくれるんだ。人々への言葉も、行動も、人づきあいの仕方も、いつも俺をにんまりと笑わせてくれる。きっと、こうなることも、描かれていたんだろう。そして、見えない存在になっても、無にはならないこと、愛と言うのは照れ臭いが、全ての存在はダイナミックなうねりの一如であると共に、全存在が、地上の欠かせないひと粒の種なんだと思う』。
『一人ひとり皆が、誰かの心の中に着地して芽を出し、共に育ち、その人らしさと融合して花を咲かせることもある。そしてまたその種は、誰かの心の中に着地して、共に生き続けていく。見えない、聞こえないから無いというわけではない。現実には伝わらないことの方が多くて無視されたり、誤解されたりしがちだが、伝わることというのは、受けとる人が周りの人に伝える準備ができているタイミングなのだと思う』。
『哲也も随分大人になってきたが、あいつがジジイになるまで、俺はハッパをかけていくよ』
少し笑いながら、こう伝えてくださいました。
有難いな、と涙しか出ない。目に見えないものと目に見えないものの融合。それが僕の写真の裏テーマでもあるのは、間違いなく星野さん、あなたの影響があったからです。一枚、一枚のシャッターをフィルム時代と同じように大切にして、心を無にします。あなたの背中が教えてくれた、すべてが溶け合うようなそのいでたちが、僕の理想です