念願だった駅まで1,6キロを一時間かけて歩いた。その前の通所のリハで一人で大体1,4キロは歩いていた。これは周回210メートルの公園だった。まあ、よくやったと思う。一時間も掛かったとげんなりしたが古希を超えて一時間以上歩けるのはすごい事だとp t に言われ、そういう見方もあると思った。

さて週一回の訪問リハで一キロちょっとを歩き、週二回、と言ってもよく休むが通所の半一コースで器械トレとレッドコードなどを何とかこなす。まあこれでいいだろう。

後はいろんな神経麻痺、特に鼻腔や顔などの他、どういうわけか入浴後から足腰の痛みが酷い。タリージェを少し足すと収まる。

小説は4作が書き上がった。

なんだか以前とは全く違うことになっている。

奇譚の中にジェンダーを織り込むとか、同性愛者の若いじ女性生活保護ケースワーカーとかが、藍染、養蚕、絵描き、特に村山槐多が憧れた赤色ガランスに関わるとか。文体も随分変わった。

知り合いの女性美術家から県美術館に自分の収蔵作品が展示されたからと招待状を貰って出かけた。

都市の中心部に久しぶりに出かけた。何だか虚構めいていた。現実と言うか自分の現実からは随分乖離した空間だった。

知り合いは、80歳になるが私とは変な所で思う所が一致する変な関係だった。今回も彼女は変わっていなかった。そういう志する仲間は沢山居て、昔からその中心に居たが、エキセントリックに行動発言しないので、余計その発言なども注目を浴びていた。

私は大勢がどうしてもだめなのでこうやって一人で出来る小説を書いているが、彼女もそういう市民運動活動以外個人通信を自分のごく少ない人に出している。

久し振りに会って葬儀の話で盛り上がった。彼女は棺桶の値段が知りたくて棺桶製作所に訊きに言ったら偉い剣幕で怒られたそうだ。そうなら布とか段ボールで代用できないかと市の斎場に問うと、規則は無いが他の人の事もあるのでと言われたとか、ついでに骨灰はどうなるかとも訊くと、溜ったら適宜処理するとの事。どうやってだろうと話し合って、銀歯などの貴金属モデルが、残りはきっと園芸用などの土になるんじゃないかと息子の嫁や家内は言う。確かにカルシウムだ。彼女に言わせると彫刻などの粘土とかもそうかもしれない。そうなら骨ぱいが混じったものでビーナスなどの塑像を作ったらねえと、想像を話して楽しい一時だった。

死は一体何を生き残る者に語るのだろう。浄土とか天国は死後の世界だろうか。いや今生きて在る者の裡に在る世界だと話が落ち着く。

般若心経についても話が及んだ。否定の否定のその否定で空はあると言ってるようで全く凡夫には分からんねと、笑いあった。久しぶりに都市空間の真ん中でコーヒーを飲んだ。

こうやって一人の空間、時々、共通の言語、過剰でない素朴な言語を持つ友人との会話は楽しい。