北新地ママさんから速攻プレゼント
読者登録のお許しをお願いしましたら、
男っぽくて、店内ではドSというプロフィールの北新地ママさんに、速攻で、プレゼント返しを頂きました。
大波と風雨ばかりの、昨今の日本国世情です。とても神経の行き届いたプレゼントに感謝。
レン03 ファーストタイムの町
今年の春先、三月下旬のことであった。
どこでもやっているだろうが、桜の開花の時期は歓送迎の時期でもある。
お世話になった先輩が長く勤めた会社を退役するというので、オフィシャルなものは終えているようだったが、
無理矢理に親しい部下の方にお願いして、プライベート歓送会を持ちかけ、東北地方の町まで行った。
やはり、人生の大半を捧げ、大いに活躍された先輩は、東京方面からわざわざおしかけて来るというので、感無量だったようであった。
そして、ほぼ終電に近い東北新幹線に飛び乗り、
帰京の車窓からぼんやりと外を眺めもの想いにふけっていた。滑り込んだ駅のホームの駅名を見ると○△駅に停車したようだ。
気を許してくれたレンが、いつだったか話してくれたあの○△の町である。
そう、ここは確か、レンがファーストタイマーで初めて日本へ来た時の町。
当時、母親は、日本に来てきていてはや10年目だった。
オーバースティで東京におり、レンの父親、おばぁちゃん、そしてレンの
家族に10年もの間、仕送りをひたすら続けていた。
レンは成人して自分が働きに日本へ行くと主張したが、母親はガンとして譲らず、あなたはカレッジだけはちゃんと出なさい。そのカレッジが終わるまでは自分が続けるというので、必死だったそうである。
2005年あたりの出入国管理の厳格運用化以降では、オーバースティは、基本的に摘発されてしまうことになるが、それ以前では、かなり多かったとは、たまに耳にはさむ話である。
そして、カレッジ在学中、母親の送金を元手に、
中古車を購入し自らもタクシーの運転手をやったが、中古車の修理代がかかってしまい、
結局はうまく行かなかったようであった。
そして、カレッジを卒業したレンは、一家の働き手を交代するために日本へやって来たのだそうだ。
在京の母親がはるばるとこの町を訪ねて、駅前の道路をはさんだ信号の向こうに現れた。
母親の姿が見えた途端、レンは、ボロボロと涙がこみ上げ止まらなかったが、
手をちぎれる程振ったそうである。
家族の顔も見ずに、10年の歳月を異国でひたすら働いた母親の姿も胸を締め付けるが、
レンの涙もまた胸中から去らない。