石巻市出身で、震災の年に祖父と愛犬を亡くしました。




石巻市の象徴とも言える、この日和山に母校がありました。写真は現在の写真で、沿岸はこのように家屋はほとんどなく、ほぼ更地です。右側にある建物はお寺。

震災前は写真の敷地は宮城県内では、仙台に次ぐ市街地で、更地はほぼなかったです。

震災直後は写真の敷地はほぼ赤茶けた更地で、寺も舗装道路もなかった。


亡くなった祖父は、当時血液の病気で、週3で輸血が必要でした。震災で輸血が出来なくなり、震災から約1ヶ月後に亡くなりました。後を追うように愛犬が何も食べなくなって亡くなり、火葬場はフル回転でしたが、祖父の火葬が行なわれて、納骨出来たのは震災から約半年後の9月でした。

この日和山の足元にある実家のお墓は、何度も墓石が倒れて、祖父の納骨の時も倒れたままの墓石とちゃんと積まれているお墓は半々でした。

祖父のお葬式は火葬された9月に行ないましたが、執り行ったお寺でのお葬式は、ウチの祖父が震災後第1号と言われました。

今でもお寺には無縁仏が沢山あります。

お墓参りしてくれる家族も皆亡くなった人がそれだけ多いということ。

私自身、中学の同級生で生き残っているのは約1/3程度。東京に出てきて20年以上経つし、全然帰省していなくても、同窓会の役員の話が毎年来る。

それだけ生き残っている人が少ないってこと。


親戚の中には、海に浮かぶクレーン車の先端に、約3日しがみついて生き延びたお兄ちゃんもいるが、話すと長くなるので13年目の今日はこのくらいで👋