さとたくオフィシャルブログ「いつだって春風ライダー」
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離任の挨拶'13

緊張をほぐすためにものまねをさせてください。
華麗にレフト前ヒットを放ち、一塁ベース上で存在感を見せつける、シアトル・マリナーズ時代のイチロー。

(ステージ前方にてものまね)



厳粛な式典の席で、
こんなことをやっていいものかと考えましたが、、
やってしまいました。

こんにちは、
1986年5月25日生まれ、寅年の佐藤です。
寅年ですが、トリです。
寅年ですが、トリです。

これまでの先生方のお話を受けて、
佐藤がいったい何を話すのか、気になっている人もいるかと思いますが、

私が一番そう思っております。
何を話そう(((゜д゜;))


えー、1年間、お世話になりました。
今日は久しぶりに内房線君津行きの電車に乗ってここまで来まして。
君津行きの表示は、本当に、ときめきます。

授業を担当していた人には、何も言わず去ってしまうことになって、申し訳なく思いましたが、
今日こうしてみなさんの前で話す機会を設けていただけるということで、楽しみにして来ました。

先ほど別な先生も仰っていましたが、
ここで1年間やらせてもらえたからこそ、また今年度新しい場所に自信を持って立てているのだと思います。
ありがとうございました。

何を話そうか、そう考えたときに、
結局1年間の授業の中で繰り返し言ってきたことになってしまうのですが。

先日、卒業していった子たちが、卒業アルバムのメッセージ欄のような場所に、「何か書いて下さいー」ということで持ってきました。

一様に書かせてもらったことでもあるのですが、
こんな風に書きました。

「広く意味を見出し、豊かな人生を。」
「広く、意味を見出し、豊かな、人生を。」

「深いですね~」なんて言われたけど、どうでしょうか。深いかな?


「古典」の授業を担当していて、
よく耳にしました。いや、ここではそれほど聞きませんでしたが、
「古典なんてやって何の意味があるんですかー」
と言われることがありました。

それについて僕はよく考えるのだけれど、
じゃあそもそもすべての物事に当初から意味などあるのか、と。

無いんじゃないか、と。

こんなことやって意味があるのかと、
考えてしまいがちだけれど、
それもこれも80年経って死んでしまえば、
無に帰すものでしょう。
意味なんてのは、初めから与えられているものでは無いんです。

君たちが好きでやっている部活や、勉強や、趣味というものは、
つまるところ君たち自身で意味を見出している。
楽しい!とかおもしろい!とか。

そうやって色んな物事に、色んな意味を見出してみてほしい。
そんなものは結局自分次第で、そうやって真の豊かさというのは決まってくる。心の豊かさをどうか、もってほしい。

3月末に、桜が咲きました。
早いね。
じゃあ、なんで桜はそんなに早く咲いたの?

僕らの別れを、彩ったんです。
彩ったんです。

勘違い、かな。笑

でも、結局は自分次第、心の持ちようならば、
色んな意味を見出してみてほしいと思います。
たくさん見出せば、きっと悪い意味合いだけではなく、良い意味合いも出てくると思うんです。


じゃあなんでそんなことを言うかと言えば、
またどこかで会ったときに、笑顔で会いたいから。
たくさんの、自分にとって良い意味合いの見出された、精神的に豊かな人生を歩んでくれていれば、いつかまた笑顔で会えるんじゃないかと思うから。
笑って、またいつかどこかで会おう。

1年間をともに過ごして、僕はもう本当に、君たちに惚れ込んでしまいました。
そんな君たちとは、僕は歳が近いこともあって、
これからの時間を同じ土の上を歩むんでしょう。

たとえ場所が変わっても、遠く離れていても、
君たちと同じ時間を生きているということが、
僕はたまらなく嬉しい。頑張ろうと思えます。
だからまたいつか、笑顔で。


最後は、少し国語のセンセぽい話を。
夏目漱石は、ある英文を訳して、
「月が綺麗ですね」と言ったとか言わないとか。
そんな逸話があるそうです。もはや都市伝説とも言われているみたいですが。

その英文を、佐藤が訳したらどうなるか。
こんな感じになるでしょう。

「君たちは、本当に、サイコーです。」

1年間、どうもありがとうございました。

あれから

1年目のときには、
まだ1年しか経ってないからと、
言い訳もできた。

それが、
2年目ともなると、
なかなかそうはいかない。


あれだけのものを経験したあとで、
僕はどれだけ前進できただろう。

実感できるものだけではないだろうから、
そんなに悲観的になることもないのかもしれないけれど、
少なくとも、
距離的にも、立場的にも、
中途半端な位置にいる僕は、
僕なりの向き合い方というものをいまだに見出せていないのだ。

まだ2年、と言うことで、
どうにか平然としたフリをしている。



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気持ちは届くのか

気持ちが通じた経験ってありますか。

一時、通じたというのは除いてください。
分かってもらえたと思っていたら実は違っていた、はダメです。
広い意味で言えば通じたことにはなるのだろうけれど、ここでは、おそらくずっとその気持ちを受け止め、理解し続けてくれるだろうという実感のみを、気持ちが通じた経験ということにしたいと思います。
そう言いきれるだけの経験。


あるかなぁ。
ないよなぁ。

そもそも、
そういう実感というのは、本当のアホになり切らないと、感じられないのだろうね。
言葉は悪いけれど。
そういうこと深く考えない人っているでしょう?
「親友」とか簡単に口に出せる人、です。
考えてないんだと思います。


いいなぁと、思うよ。

そんな簡単な事じゃないって経験をたくさんするものだから、
疑心暗鬼で、期待を持ちつつも最後はへし折れてしまう。絶望してしまう。


ことばは契約ではないし、当然気持ちはつなぎ止めておくことなんてできない。
結び付きを保証することなんて出来ないのです。
そういう脆い関わり合いの中で、僕らは生きている。





でも、、、こうして嘆くのも、
結局は人と人との結びつきに期待している表れなのでしょう。
どうせと言いながら、ちらちらと向こうを見ている。


やっぱり通じてないなと思ってしまう出来事が多いけれど、絶望したふりをして、また気持ちを届けてみようと思う。


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