LINEのタイムラインで回っていた文です


とても感動したのでみてほしいです。

 

<本文>
2011.3.11 P.M 2:46
 東日本大震災。


死者は2万人を越え、
日本は多くのものを失った。


そんな中での感動エピソード


ヤンキーがお年寄りを背負い避難した。
交通整備をした。
車いっぱいに支援物資を積み避難所に届けに来た。
子供がお菓子を持ってレジに並んでいた。順番が近くなりレジを見て考え込んだ。そして...レジ横にあった募金箱にお金を入れ、お菓子を棚に戻して出ていった。

レストランがほぼ満席の状態の時に地震があり、お客さんに外に避難してもらった。食い逃げされてもしょうがない状況でほとんどのお客さんが戻ってきて会計した。

献血施設は被災地の方の為に超満員の順番待ちだった。

電車が止まり駅は大混雑。
そんな中、駅のホームで電車を待っていたら人にホームレスの人達が「寒いからこれどうぞ。」とダンボールを配った。

何時間もかけて歩いて帰る人のために、自宅や会社を避難所やトイレとして、開放する人がいた。

自衛隊員は背中に2人、両腕に1人ずつ、計4人抱え避難する。しかし被災地の炊き出しがたとえ余っても自衛隊員は食べず、缶詰の冷たいご飯を食べた。被災地の人用にお風呂を用意しても自衛隊員は入らない。そして、出来る全てのことをやったらひっそりと帰る。。。
そんな自衛隊がいた。

急に給食中止でお弁当持参になっても「お弁当忘れちゃった子がいたら食べさせてあげて。」と余分におにぎりをにぎってくれる保護者がいた。

4人家族なのに「皆で分けあって食べます。」と3つしかおにぎりをもらわない家族がいた。

満員の電車で妊婦に席を譲るお年寄りがいた

大変な状況でも
避難表示を英語や韓国語で、
混乱している外国人を優しく誘導し
外国人にまで気を配る日本人がいた。

そんな3月の寒さを感じさせない日本人のあたたかい行動は世界に広がり、
日本人が韓国のタクシーに乗った時、お金を払おうとしたら「日本人でしょう?日本に帰ってこのタクシー代を寄付して下さい。」と言われ、
多くの国から支援物資が届いた。

避難所でおじいさんが
「これからどうなるんだろう」
と漏らした時、横にいた高校生の男子が
「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します。」って背中さすって言った。

そう、日本の未来は私達にかかっている

<END>



どうですか?
私はこの文をよんでいるといつの間にか涙がでてました。


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いつまでも平和でみんなが毎日笑顔でいれますように....。


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