リボンズに意識を乗っ取られたアニューの駆るガッデスのサーベルが、今まさにケルディムのコックピットを貫こうという時、刹那のトランザムライザーがガッデスを狙撃した。撃ち抜かれ突進の勢いを失ったガッデスが、ケルディムの側に寄り添うように漂い着く。まるでライルがアニューを抱き寄せたかのように。その脇を高速飛行するトランザムライザーが、高濃度・高純度のGN粒子を大量散布しながら通り過ぎていく。それが図らずも(?)アニューとライルの最後の心の触れ合いを演出した。ツインドライヴによる意識共有空間が形成されたのだ。


もしも、刹那がアニューを撃たなかったら…そもそもここに間に合うように来なかったら、まず間違いなくライルはガッデスのサーベルに殺されていた。そしてケルディムも破壊されGNドライヴも失われたかも知れない。そして、ライルは今際の際までアニューの本当の思いを知ることもなく散ったはず。また、アニューがその後リボンズからの脳量子波介入から解かれたならば、自分の手でライルを殺した事実に大きなショックを受けたであろう。アニューの肉体はリボンズに乗っ取られていたとはいえ、アニューは自分のことも責めるに違いない。イノベイドの感情コントロールは人間よりも安定度が高いとは思うが、それでもなんの後悔も悲しみも感じないわけではない。


刹那は確かにアニューを殺害した。しかし、それはあくまでもライルの命を守ることを優先したからであり、そして、刹那の行為は結果的にアニューに対するリボンズからのリンクを切断する事にも繋がった。刹那が来なければ、ライルとアニューは最後の会話すらすることなく、互いの心を触れ合わす事もなく死別を迎えることになったはず。その点をライル達がどこまで理解しているかはわからんが。ライルは刹那をアニューの仇だと認識しているが、本当は感謝すべき点があったりする。まぁ、ライルからすれば「アニューを殺してまで俺を助けてくれと頼んだ覚えはない!」と言うのかも知れないが。


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トランザムライザーのGN粒子は、イノベイドの脳量子波を乱すような干渉作用を起こすようで、アニューに対するリボンズの脳量子波コントロールが運良く途絶した。これによりアニューの意識は回復し、息絶えるまでの僅かな時間だけではあるが、ライルとの心の交流を行う事が出来た。ただ、間もなくアニューは死ぬ…という事実を、ライルもアニューもわかった上での切ない会話だ。


アニューは語る。「私、イノベイターで良かったと思ってる。そうじゃなかったら、あなたに会えなかった…この世界のどこかですれ違ったままになってた」と。でもこれは、ある意味アニューの精一杯の強がりだと思う。ふたりにとって本当に望ましい状態は、アニューがライルと出会ったままのアニューであり、イノベイドなどではなく同じ人間同士であった方が良かったはずだ。イノベイター(イノベイド)でなければ会えなかったとは限らない。そもそもアニューはイノベイターとしてライルに出会ったわけではない。元々は自分も人間としてライルに出会ったのだから。


でも、もしもアニューが「私、イノベイターじゃなければ良かった」なんて言ったとしても、それは後ろ向きな泣き言にしかならないわけで。アニューは、自分の運命を後ろめたい後悔や嘆きとして捉えたくなかったに違いない。自分を不幸だとは思わないし、思いたくもない。短い間だったけど、ライルと過ごした日々は楽しくて幸せだった。それを、自分にもライルにも言いたかったのだと思う。自分の生い立ちを恨んでも、起きてしまった運命は変えられない。そして何よりも、アニューが自分の運命を呪ってしまったら、ライルはこの後もずっとそれを引きずってしまうだろう。アニューが自分の人生を不幸だったと言ってしまったら、ライルはアニューの不幸を悔やんで呪い続けてしまうかも知れない。アニューはそれだけは避けたかったのでは?この結果を悪くばかり捉えないで!と、アニューはライルに伝えたかったのでは?


最期の最後の瞬間まで、アニューはライルとの出会いを前向きに幸せに思い続けたかったのだろうと思う。そして、ライルにも同じように感じて欲しかったのだ。だから、自分の今の状態すらも「良かった」と言う。自分がイノベイターで、ライルが人間だったという事実を、決して恨めしいモノにしない為にも。


「ねぇ、私達、わかり合えてたよね?」…アニューはライルにそう尋ねる。ライルは「あぁ、勿論だとも…」とそれに応えた。その言葉に笑みを浮かべながら「良かった…」とつぶやき、力尽きたように意識が遠のくアニュー。その頃、現実世界ではガッデスが静かにケルディムを押して遠ざけて、アニューの命と連動するかのように、ガッデスの機体も息絶えて爆発。映像、台詞、音楽も含めて、美しく切ないシーンが展開された。


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…と、まぁ、ロックオンファン、アニューファン、恋愛話好きの人達であれば、感涙モノの場面だったのかも知れない。それに、もしも自分がこの立場に立たされたなら、非常に辛くて悲しいものがあるなとは自分も共感する。


ただ、これまでの描写上の展開が急だったせいもあるのだろうが、どこか共感し切れない違和感も拭い切れないところがある。自分は、全てをなるべく好意的に解釈するようベクトル修正しているつもりなのだが、どうもライルとアニューの台詞等が美化され過ぎている気がしちゃう。もっと、大人の恋愛ってキレイな面もあればドロっとした面もあるはずだし、ライルやアニューにも愛欲や独占欲的なモノがあってもおかしくはない。まぁ、子供も観るかも知れないアニメであんまり性的な描写は描けないが、それにしても、ライルやアニューの反応に若干のリアリティー欠如を感じてしまう面がある。例えアニューがイノベイドだとしても、恋愛のリアルには人間味が欠かせない。


このアニューとの別れの場面以降、ライルはアニューとの間で交わされた「ねぇ、私達、わかり合えてたよね?」…という言葉を反芻することになる。アニューとだってわかり合えた…その事をライルは、自分の心の支えや教訓として行動理念に組み込んでいく。でも、この台詞は自然な恋愛上の言葉というよりも、作品テーマに無理矢理結び付けようという作意をちょっと感じてしまうのだ。普通、男と女の恋愛で、わかり合えたかどうかなんて、各個人が重大テーマとして自覚するか?と。


ライルとアニューの愛について、人間とイノベイドでさえもわかり合える→人間同士なら尚の事わかり合えるはず…という展開に結び付けたいのはわからんこともない。互いにわかり合うつもりになれれば、誰でもきっとわかり合えるはず。そして、わかり合えれば不幸な争いなどなくなるのだと。ガンダム00の物語は、様々なストーリーや台詞が、最終的にはそのテーマに繋がるようになっていると思うし。刹那とマリナも、アレルヤとハレルヤとマリーとピーリスも、劇場版の地球人とELSも、互いがその気になりさえすればきっとわかり合う事が出来る。それが00の根幹に流れるテーマのひとつだと思う。


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しかし、だからといって「わかり合えた」というダイレクト過ぎる台詞に、なんでも無理矢理結び付ける必要はないのでは?どんなに美しく演出しても、アニューとライルの愛は男女の恋愛だ。人類愛でも動物愛でもないし、全ての命に対する博愛主義でもない。姿形や文化、言語体系等の全く異なる異種生命体との間に芽生えた交友関係でもない。イノベイドは厳密には人間ではないといっても、その差は一緒に居て常時違和感を覚えるほど“人外”というわけでもない。


男と女というモノは、実は、別に全てをわかり合っていなくても恋愛が出来るものだと思う。特に、ライル達のように付き合い始めて何年も経っているわけでもないなら、どこまでわかり合えているかどうかよりも、どれだけ本気で好きか(愛しているか)の方が大事だったりする。事実、ライルはアニューの本当の過去や存在理由を知らなくても愛せてたし、アニューだってライルが心の奥底でどんな不安や心配をしているかを気付かなくても愛していたはずだ。どんなに互いを愛していても、どんなに長い付き合いでも、相手のことを本当にわかっているかどうかは怪しいものなのだ。そもそも、何を以って相手をわかったと言い切れるかが問題だし。でも、だからといって、わからなくても偽り合ってるというモノでもない。人間の好き嫌いには、理屈じゃないモノも多いのだ。相手のことを実は何もわかっていなくても、「わかりたい!」と思い続けることで愛せるのが人間だ。相手を知り尽くす事よりも、もっと知りたいと思い続けることが愛のようにも思う。


恋人同士において、「私達、わかり合えてたよね?」…という確認をするのは、あまり自然な感じがしないのだけど?絶対にあり得ないとまでは言わないけれど、どちらかというと恋人達が一般的に気にするのは、相手が自分を本当に愛してくれているかどうか?または、自分が相手を愛せてるかどうか?好きな人を幸せな気持ちに出来たかどうか?…その方が前面に出てくる関心のような気がする。わかり合うことは愛を深める為のプロセスのひとつであり、最終的な目的そのものとは違うからだ。俺はお前のことをわかっている!と言われても「本当かな?どこまでわかってるの?」という疑問の方に繋がりやすい。それよりも、俺はお前が大好きだ!と言われた方が率直な今の気持ちや熱意、色々加味した結論としての思いとして、素直に受け止めて信じる気になるモノではないか?


わかっていたとしても嫌われていては意味がない。例え全てをわかっていなくても、好きだと思ってくれた方が嬉しいのが恋愛だ。そもそも、好きじゃなきゃわかり合いたいとも思わない。わかり合えれば恋愛感情が湧いて来るというモノでもない。なのに、ライルとアニューの関係を、イノベイターと人間のわかり合いのように無理矢理持っていくと、どうにも不自然なこじつけを感じてしまう気がする。だから、ライルとアニューの関係を、好きとか愛してるとかではなく「わかり合えてたよね?」というフレーズに集約しようとされてしまうと、なんともクサイというか、くすぐったいというか、そんな感覚を個人的には覚えるのだ。