6・4内戦(90年動乱)回顧録―宇津帆島西部海域哨戒
再び当時の日記より抜粋
(尚、一部お聞き苦しい点があります事をご了承下さい)
6月6日 00:00
我が臨時水雷戦隊は、南伏里基地沖合いに投錨し、補給と応急修理が行われた。
補給、兵站に関しては外洋艦母艦『択捉』から優先的に補給を受け、食料や淡水の他、郵便物なども流通完了。
旗艦『空知』以下、艦の応急修理も完了したが、主砲に関しては部品も資材もないためそのままである。
座礁した重巡『六甲』の主砲を接収したかったのだが、琴岩からの砲撃によって断念。
最も、伊部知先輩が正規艦隊を率いるようになったら、空知はヤスダ大尉が正式に艦長に就任するのでお返しする事になるので艤装がどうなろうと俺の知ったこっちゃない!
それよりこちとら昨日の戦闘で痛烈に思い知らされた、空母を筆頭とする機動航空戦隊の編成計画のプランのタイピングで手一杯でいっ!
艦載機さえあれば、4日の空爆や昨日の海戦でも犠牲は減るはず。これ以上SSの好きにさせてたまるかよ!
同日 02:00
南伏里基地からの呼び出しで出頭する。
こう言う時だきゃあ俺のカンは的中する様だ。
参謀本部での会議の結果、夜明けより海上封鎖作戦を実行する為、海防艦、哨戒艇による哨戒船団を編成、その中の一隊に、『占守』を旗艦とする第4哨戒船団も参戦する様にとの事。
戻ってきた俺が、ドラム缶を1個ボコボコニしてウサを晴らしたのは書くまでもねーだろっ!
哨戒任務と言えば聞こえはいいが、要はドサ回りで接舷しての斬り込み戦が主体の肉弾戦となる。
で、そんなドサ回り任務の司令になんで俺が任官されたかっつーと、昨日の海戦を見ていたテレシコワ提督以下総司令部のお歴々が適任だと判断したらしい。
俺たちゃ海上○○庁かよっ!(著者編集、以下、鬱憤晴らしと罵詈雑言が続く)
03:00
補給艦『足摺』より接舷戦用の武器などが積み込まれる・・・・・・・・が、100式短機関銃はねーだろ、100式は。
マトモなライフルやマシンガンがくるとは期待していなかったが、海軍陸戦隊のセコハンを使うとは思わなかった。
唯一の救いは、伊部知先輩が12・7ミリ重機関銃弾や部品をこっそり流してくれたので、哨戒艇達は弾薬の残量を気にしないでリッチにドンパチが出来るのが唯一の救い。
占守は主砲を20ミリバルカン砲から駆逐艦用の130ミリ速射砲にコンバートする。この辺は海洋冒険部、いや、蓬莱学園のこだわりなのか、コンパチになっていて2時間で交換が可能になっていた。
負けても恨むなよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
05:00
南伏里より抜錨し、出航する。
我が船隊(頼むから艦隊と書かせてくれ・・・・・・・・・)は鵜来級改型海防艦『占守』、朝里級哨戒艇のしおなぎ、ゆうかぜ、PTボート級魚雷艇が3隻の以下にもな寄せ集めだ。
気持ちは解かる。
しかし、葵副長、高根沢船務長・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
景気付けにテンション上げたいのは解かるけど、マストに大漁旗掲げてソーラン節やら勇魚節唄いまくるのはやめれ。
警備艦隊の連中が漁船団と皮肉ったのを意趣返ししてるのだろうけど、ただでさえビンボ臭い船隊が余計惨めになるよ・・・・・・・・。
09:15
択捉経由で真室川先生より入電。レポートの提出期限が迫っているのだそうだ。
11:00
不審船を発見、威嚇射撃で領海外へと逃走する。
(この後、4度に渡って交戦記録が記述されるが省略)
21:00
南伏里基地に寄港、例によって埠頭は戦列艦で溢れかえっているので投錨停泊だが。
拿捕した艦船は全て引き渡す。拿捕した艦は海洋冒険部に編入出来る艦は改装をして編入。ほかの艦船に関しては、スクラップにして校舎やクラブ施設の建築資材として利用する他、海洋学研、フィッシング研に引き渡して漁礁を作る為に自沈させるそうだ。
好きな艦を報奨金替わりに持って行って構わないそうなので、仮設巡洋艦として使用されていた武装商船を一隻受領する。コルベット艦らしい軍用艦のなれの果ての海賊船もあったのだが、迷わず武装商船を貰う当たり、俺も伊部知先輩に似てきたのか・・・・・・・・・・・。
対して、こちらの損害は戦死ゼロ、負傷者6名と軽微。船舶もガラスが割れたり、風穴を開けられた程度と言った程度である。
第2哨戒船団が寄港するまで暫しの休息だが、真室川先生の出した宿題を片付けないとな・・・・・。
