誰かと「小銭稼ぎしたいなあ」って話をしてて、グルメライターはなかなか良い稼ぎになるんじゃないかって話題になった。
しかし、いいねえ~どっかでそんな仕事ないかねえと調子良く相槌を打ちながら、そこで私はふと思い当たったのです。
「美味い!を表現するボキャブラリーを私は持たない!」
と。
私はこれまで結構色んなお店に食べに行って、その諸々をこのブログに書いてきたはずですが、多分、ほとんど「美味かった」としか感想を書いていないはず。
旨みを表現する言葉はそれこそ星の数ほど存在する。
しかし、「甘い、辛い、しょっぱい、すっぱい」を、ソムリエのごとく修辞句を並べ立てて表現するには、私はあまりにも言葉を知らない!
SHOCK!!!!!(by堂本光一)
ていうかそこから色々考えたんですけど、私はそもそも「美味い」のハードルが低すぎるんだと思う。
昔母親に
「あんたは何食べても美味しいというからご飯の作り甲斐がない。つまらん」
という趣旨の事を言われたことがある。
母親にそんなこと言われる娘ってorz
だって私の基準からすれば、「まずくなければ美味しい」のですよ。
で、私がまずいと思うものは、相当まずいものである、はず。
そもそも育ち方に多少問題があった。
男ばかりの4人兄弟で育ち、おやつを巡る争いなんか、まるで昭和30年代だったよ。
ポテトチップス一袋を4人で。せんべい一袋を4人で。ポップコーン一袋を4人で。
なんでも4人で分けろという母のお達し。
一応女の私がティッシュペーパー(笑)の上におやつを四等分に分けてゆくのだが、ちょっとでも私の分け前を多めにしようものなら、兄が「おまえ…殺ったるで!」な目で睨んでくるのだ本気で。
そんな環境で育つと、「食べ物を手に入れた時点でGOAL。味なんかモウ・マン・タイ」になるのは必然の心理だといえる。
これを友人に言うと大体
「え~じゃあ何でも美味しく食べれるんでしょ?いいじゃん安上がりで」
みたいな事を言われるのだが、「否!そりゃ違うよ姉ちゃん!」なのです。
美味さを示す尺度が10段階あるとすれば、私の安すぎる舌では、せいぜい10段階の5までの美味しさしか感じ取ることができないのです。
舌の肥えまくった人間の感じる、山岡士郎の、海原雄山の「10段階の10」の味とは如何なる世界なのか、私は永遠に知ることができない。
こりゃ悲劇よ。
一回でいいから、目をクヮッと見開いて「こ…これは…む…むぅ…!」な究極の美味を感じてみたいのよ~のよ~ヽ(;´Д`)ノ
栗田ゆう子さんも、育ちは知らないが、あれだけの舌の判断力を持つならば、きっと小さい頃からいいものを食べてきたのだろう。うらやますぃ。
あ、でもそうか。
当初の目的は「美味い!を表現するボキャブラリーが欲しい」だったな。
単純にボキャブラリーを増やしたいなら、「美味しんぼ」を熟読すればいいのか。
はっはっは~そうかそうかww解決解決。
では早速こないだ行った今泉の焼き肉88(写真)の感想を美しく書く練習。
「もったりと脂の乗ったハラミとホルモンを、少々過剰なくらいに燃えさかる木炭の炎が情熱的に包み込むのであった…」
あ、もうなんか無理ぽ。才能ないですやっぱり。