シチューは申し分なく、結構いけるのであった。サラダといいハムを少し、それに塩味のパン。バターの代りにクリームチーズを私は冷蔵庫から出してきた。
「いつもこんな御馳走食べてるの?」
「そーんなこと、ないわよ。だけど、あたし、気が向くとチャンとする。お皿も並べてきちんと品数をそろえて食べたりするわね…でないと、一人ぐらしはトコトンおちてゆくから」
と私は言ったが、ワタルのような若い子に「とことんおちる」なんてわかるのかしら。
ゴハンのしゃもじを直接ねぶったり、汁杓子へすぐ口をつけておつゆの味を見たり、パックにはいった出来合いのカツを皿にうつしもしないで、そのままソースをぶっかけて食べたり、フライパンでいためたヤキメシを、スプーンですくって食べたり。
およそ、マナーというマナーは、なし崩しに崩れてゆく。
いったん、とことん崩れてしまうと、私は自分がみじめになってきて、それからは二度としなくなった。
一人暮らしの中、自分を荒廃から守るものはお芝居ごころなのであった。
自分を、とてもしとやかで優雅なレディだと暗示にかけて、きれいになろう、美しくみせようと思う、こうありたいと思う自分の姿を思いえがいて、それに近づけようとする。そういう気持があると、たった一人の食事もきちんとするようになるのであった。
長々と書き写しました。ふい~疲れた。
これは何かといいますと、田辺聖子大先生の小説「愛してよろしいですか?」のワンシーンなのであります。
この小説初めて読んだのは高校生の時なのだが、その時からこのあたりのくだりが妙に気になって心に残っていたのです。
当時の私は部屋の掃除とかは完全に親任せ(というか単純にいくら言われても片付けなかった)の汚ギャルだったゆえに、
「ふ~ん、大人というのはこういう心境になるものなのね~」
とちょっと感心していた。
でも最近、25歳も越えたせいか、このへんの心境がなんとな~く理解できるようになってきた気がしまして。
(ちなみにこの小説の主人公スミレさんは34歳)
ずっと妄想とか空想とかばっかりして本ばっかり読んで、(今の生活を楽しむ)という事に、生まれてこのかたず~~っといまいち興味が持てなかったんですよね…。
でも最近は、あー私はこの生活をしばらく数年は確実に続けていくんやろうなぁ、的な見通しがようやく立ったような気がする。
なので、もうちょっと「生活」というものをちゃんとした方がいいんやろうなぁ、くらいの心は持つようになったかも。
(汚いけど)部屋はなるべく片付けておきたい。
(あんまりしないけど)楽しんで自炊するくらいになりたい。
そうか、楽しんで生活するためには芝居心が必要なのかあ。
へ~やをかざ~ろ~、コーヒーをの~も~
はなをかざってく~れよ~、いつものへやに~♪
と歌うのはエレカシの名曲「悲しみの果て」。
そうですね、そんな心境でなるべく毎日生きていきたいです。
「愛してよろしいですか?」は昭和50年代の話だけど、古臭さを全く感じない。
恋愛小説として出色の作品だと私は思うのであります。
34歳のスミレさんと22歳のワタル君が恋に落ちる、スピッツ並みの爽やか小説。
本をあまり読まない友人○部さんも夢中で読んで「これはエエわ!」と大いに盛り上がり、舞台になった長崎市まで行って眼鏡橋で写真を撮ったの、2年前。笑。
- 田辺 聖子
- 愛してよろしいですか (集英社文庫 75-D)
- 田辺 聖子
- 風をください
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続編がまた良いんですよ~。