二十三夜講あれこれ  (1)       今西新一 | 高原山

二十三夜講あれこれ  (1)       今西新一

二十三夜講あれこれ         今西新一
http://www.asyura2.com/0403/ishihara8/msg/618.html

投稿者 愚民党 日時 2004 年 12 月 20 日 10:39:57:




二十三夜講あれこれ

今西新一

http://www.town.yagi.kyoto.jp/gyousei/skyouiku/kyoudosi/kyoudosi3/79.htm
    

古くから行われている民間信仰の組織は、八木町内にも数多くあることと思われるが、たまたま神
田に昔から伝わっている二十三夜講という月侍の行事があって、僅かの人達によって今も続けられて
いる。江戸時代に盛大であったといわれている全国的な二十三夜講の概要をさくってみて、町内の二
十三夜講を考えてみたい。

月  待

さて月待とは「特定の月齢の夜に議員が寄り合って飲食を共にし、月の出を待つ行事。十五夜、十
七夜、十九夜、二十三夜なとの月待がある。なかでも盛んなのは二十三夜待で、三夜侍とも三夜供養
ともいわれ、それに参加する人々の集團は二十三夜講とよばれている。正、五、九、十一月、また正、
六、九月、また正、十一月と月の組合せは異なるが、いずれも二十三日の夜におこなわれ、隔年ごと
に大祝いをする所もある。

  村中が議員になっている所、また女性のみの講もある。あるいは勢至菩薩をまつるのだともいう。
三夜様にみごもると不具の兒ができるなとという俗信もある。今日でも村の四辻には多くの二十三夜
塔が建てられている。その大部分は江戸時代のもので、近世におけるこの信仰の盛大さを物語ってい
る。」と柳田国男氏監修の民俗学辞典には見えている。

この様な信仰がいつ頃からおこったかについては、同氏の「二十三夜塔」によれば「石に年号月日
を刻したのは三百年より古いものは稀なようだが、これは一つには字の読める人が少なかったのと、
又一つには石工が無く、石を切り出す者が村に居らず、石塔の代りにたゞ土の塚を築いて居たから
で、起りは決してその様に新しいものではなかったようである。」とあり。又川勝政太郎氏の「石造美術
辞典」によれば、『室町時代中ごろに月待供養の民間信仰が起った。十六夜や十九夜など、特に二十
三夜に講衆が集り日の出を待って、「帰命月天子本地大勢至」を念誦してその功徳を願うものである。
近世には二十三夜供養の石碑や石仏などが多く立てられた。自待の本尊は月天子で、月官の天子で
あり、その本地が大勢至菩薩であるとして、勢至の姿を彫刻した埼玉県浦和市立郷土博物館の文明
十七年(一四八五)三室月待板碑があるが、一方弥陀三尊を本尊とする同大里郡川本村畠山、満福寺
の文明十三年(一四八一)月待板碑もある。』とあって、十五世紀後半には月待の信仰があったことが
うかがわれる。

祭  神

祭神については桜井徳太郎氏の「民間信仰辞典」によると、「二十三夜講は男の集まる場合もある
が、多くは女性の講だとしている。…中略… 行事の時に掲げる画像などから、祭神を勢至菩薩、阿
弥陀三尊、月天子、月光菩薩、月続尊などと考えていることがわかる。しかし神仏名は宗教者の影響
によるもので、月そのものを拝むことが大切だったのだろう。」
柳田国男氏の「二十三夜塔」によると、「拝む人々が神の御名を口にしなかった為に、次第に祭
神が不明になって来たことも、庚申と二十三夜とはよく似て居る。そう言う中でも二十三夜の方は、仏
教の人たちもあまり口を出さず、青面金剛のようなかわった掛軸も、作って売る者がなかったから、こ
の点が今でもはっきりとせず、石塔の表にも文字ばかりを彫ったものが多く、人はたゞ二十三夜様とゆ
う神様があって、この晩は村々を御巡回なされ、信心の深い人々には徳を施し、恵みを垂れたまうも
のと思って居るだけであった 。

それが月天子である。又は月読尊と云う神様であるということは、誰しも考えやすく又物知りの言い
そうなことであったが、夜毎に出ては照らす空の月が、この二十三日の祭の夜ばかり、そういう神にな
り給うと言うことは、却って単純な少年少女なとには、受け難い話であった。」
更に岩崎敏夫氏の「東北民間信仰の研究」上巻によれば、「安産信仰の例としては、福島県浜通り
では、十九夜講はいわき地方に、二十三夜講は相馬地方に多い。

昔は医療設備が乏しく、わずかに村の産婆に取上げてもらう程度であった。私が訪ねた阿武隈山
中の村での話であるが、田で草取りをしているうちに腹が痛くなってきたので急いで家に戻り、夫に産
婆の家に行ってもらったが産婆は里に出かけて不在であった。医者も居ない村であるから、あきらめて
夫に湯をわかしてもらっているうちに生まれたので、這いずりまわって臍の緒も自分で切ってやった、
など今の若い娘が聞いたら失神しそうなことを話すのである。この老婆は七人の子供のうち四人まで
自分で取上げたといっている。しかし自分はいずれも自家で生んだからよかったが、隣の誰とかは、田
圃からの帰り途、間に合わなくなって途中の一本松の所で生んだなどの話もあった。それぐらいだから
難産で死ぬ人も多く、女だけで講をつくり、講の日には宿に集って豆腐のでんがくぐらいで、結構楽しん
だものであった。共に月待ちの信仰で、十九夜は観音様の、二十三夜は勢至様の掛軸をかけて拝
み、月の出を拝んで解散した。」

信仰を同じくするものが寄り集まってできている信仰集團には、村落の地域集團単位にできている
地縁性の濃いものや、神社、寺院または宗派の教祖たちがみずからの数團拡張のため、檀徒、氏子
などを以て組織しているものなどがあって、二十三夜講の祭神は何様ときまったものではないようであ
り、又信仰の目的も色々とあったようである。