「ただ指導しているだけで、パワハラだと言われるなんて心外だ。」

 

〇〇ハラスメントに怯える管理職の人たち。

 

とりあえずいやなことは「ハラスメント」をつければいいだろうと考えるのも安直なものだ。一つ一つに名前を付けるのは、人々の意識づけにも役に立つ。しかし、度を過ぎればそれは、「同調圧力」になってしまう。

 

どこからが線引きなのか?

難しいところだろう。永遠と決着がつかないこの問いは、「多様性」「人によって」という言葉であやふやにされてしまう。

 

本当ならば、頭ごなしに相手の行動や言動に名前をつけるのではなく、AさんとBさんの一対一のコミュニケーションなはずなのだ。法律というものは、個人の話し合いでも折り合いがつかない場合に適用されるものだ。法律などなくても、みんなが気持ちよく、倫理観を持って暮らせるのであれば、必要のないものなのだ。

 

だからか、昨今の人はどれだけ年を重ねていようが、「1on1」「マンツーマン」の話し合いが苦手になっているような気がする。どちらかというと、相手を思い通りにしたいという魂胆が透けて見えるような一方通行のコミュニケーションだ。

 

こう分析する筆者も、完璧なコミュニケーションを取っているとは思わない。こちらが歩み寄ろうとしても、相手からシャットアウトされてしまえば、一方通行のコミュニケーションになってしまう時がある。

 

私たちは、もっと。

 

相手の「顔」を見ながら、コミュニケーションするべきなのかもしれない。