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いつもkokoroからブログ

日常の切り取り、特別な日の記憶、忘れられない思い出、
わたしのkokoroが感じた出来事を記します。

私の人生で五本の指にはいる

素晴らしい映画にまた出会いました。

このタイトルで選んだ彼は素晴らしいと思う。

わたしならなんだよくあるお涙頂戴ムービーだろうと気付かずにおいてかえってくるだろう。

彼は、この映画よさそう。とまたしても素晴らしい作品を見つけて帰ってきたのです。


映画の内容は、
正直いって、現実と受けとめるには
あまりにも重すぎて、目を背けたくなる事実がたくさんと出てくる。

自分自身もとりかねない人間の弱く冷酷な行動が
そこらじゅうにあふれています。

果たして自分がその場にいたときに
「強くそして温かく行動できるだろうか?」

全く自信がありません。

だからこそ、物語にでてくる
老人、女教師、子供たちの強さ、優しさ、純粋さに胸をうたれるのであります。


わたしはやはり映画を見終わって聖書のこの一節を思い出した。


『あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。
神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
(コリント人への第一の手紙 10:13)』


是非、この映画を見て欲しい。

真実を教えてくれる映画です。


【学びに終わりはない。】

今、学生の人も働いている人も、
主婦の人もすべての人に見ていただきたい素晴らしい映画です。


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なにかを信じてようと信じてなくとも

人にとって祈る時間はとても大切なことだと思います。

なぜならそれは、
自分と向き合うときであり、
自分以外の何かと向き合う時間であるから。

人間というのは案外自分自身に無頓着なもので、
ともすると日常の中で自分をおきざりにしがちです。

また目に見える物や事にのみ答えを
求めやすいものです。

だから日々の悩みは絶えません。

人間が見えているものはどの程度のものでしょうか?

例えば空気中のウィルスや物質の分子、粒子レベルまでなにも見えていません。

もし見えていたとしたら逆に怖くて生活できなくなるでしょう。

だから目に見えるものしか信じません。は狭小な認識だと思います。


短くてもどんな形でもいいから、

一日の中で祈る時をもつことは何と豊かでしょう。

たくさんの人と一緒に祈れたらそれはもうすごく嬉しいことだと思います。

自分の利益の為だけに祈るのではなく、
自分の人間的成長や愛する誰かのために祈りを捧げることができたら

その人の人生は穏やかで恵みをたくさん受け、祝福されることと思います。


自分と向き合う 祈りの時間を
生活の中に取り入れてみて下さい。

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iPhoneからの投稿
新学期の今日、

気持ち新たに新しいクラスと
昨年の教え子たちの懐かしいクラスを
持たせていただくことができました。

初めて顔を合わせる学生たちも

一人一人個性があって、これからが楽しみで。

昨年のメンバーも、遅い時間にも関わらず参加してくれて、
とても嬉しい温かな時間でした。

授業の小難しいパートでは、やはり
眠くなる~と嘆いている子も

最後まで、こちらを向いて楽しそうに
授業を受けていた子も。

みんな出会えたことが素晴らしくて、

私が彼女たちに出来る全力を尽くそうと思わせてくれるそんな良い時間でした。

できないことだらけの
ボロボロの私ですが、
自分が存在する意味を全開で
発信しつづけられる人間でありたいと確信しました。


毎日の丁寧な積み重ねが、
明日の自分を創ります。
死ぬまで成長し続けたいそう
望んでいます。

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iPhoneからの投稿

あなたの目の前に大切な人がいるとします。

その人の全てをあなたは知りたいと思い、
その人の全てを愛したいとあなたは思う。

けれどそれはそもそも不可能なことかもしれない。

誰一人同じDNAは存在しないというのならば

誰がその人の心の奥を知ることができましょう。

今がわかっても明日はどうなるかは誰も保証できない。

ましてや自分で自分のことさえも、
明日はどうなっているか保証できない。

それほど、人間とは弱いもので
脆いものだと思うのです。

いつ今持っていると錯覚しているものが取り去られるかは誰にも知ることができない。

健康や大切な人達や家や財産、地位 …

だからこそ、いつも備えている必要があり、

だからこそ、今目の前にある人やものがとてつもなく愛おしくも思える。


その中にあって、唯一変わらぬゆるぎないものは何か。

それは、人間を越えた存在との関係。

生命を受け、その人生を全うするまでその存在は、永遠になくなることはない。

だから人生は最後まで諦めちゃならない。
願いを捨ててはならない。
望みを持って生きて欲しい。


秋の夜長、月を思いながらそんなことを考えていました。

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知らない人がみたら気味悪がられでしょうが、

私はときどきお家と会話します。


朝起きて、「おはようございます!」とか、

「いつも私たちを守ってくれてありがとう!」とか

家をしばらく空けるときは、「行ってきます、よろしくお願いします。」


祖父母や両親の家から帰るときには、

「いつもありがとうございます。○○を守ってあげてください。
○○をよろしくね。」

こんな風にお家に向かって話かけます。


もちろん植物にも話かけていますが、

そうするとなんだか温かく返してくれている気がします。


私たちは生き物で、建物はその定義では同じに分類されないかもしれませんが、

地球上に存在しているという時点で同じ生かされているものだとも思います。

さみしいな味気ないなと感じたら、
会話をしてみてください。

今よりもっと愛着がわくようになりますから☆