待つということ | いつもkokoroからブログ

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日常の切り取り、特別な日の記憶、忘れられない思い出、
わたしのkokoroが感じた出来事を記します。

待ってるときが長くなると、

相手の話が共有できなくなるという。

たとえばそれが、仕事の話だったり
悩んでいることだったり


どうしてそんな風になるんだろう


見えない部分が多過ぎるから?


一緒にいない時間が長すぎるから?


あるひとは、『違う、そもそも共有しようとするな』という。

仕事のことを聞いてもリアルに理解できないからと。

でもね、それはあまりにも寂し過ぎるよ


うちの父は良くしゃべる

話の85%は父がはなしている

母はけっして無口なひとではないんだけど、それでも父の話しをよく聞いている

明日父がいなくなったとて、母はなにひとつ不自由しないだろう

父が世話になったひと、可愛がっている部下、訪問している人、教え子のこと
父に関わるすべての人を母は把握している


そんな二人に共有しないという選択肢はない。


だからね、こう思うんだ。

『あなたが耳を傾けることをあきらめなければ、きっと相手は話しをし続けてくれるよ。だって人間の本質は“理解されたい”って渇望しているんだもの。』


待つことを楽しもう。

そしてたくさん話をしよう。

聞きたいこともたくさんあるから。