いわき市勿来関文学歴史館へ  2024GW | ライムとハナコと、ときどきカッパ

ライムとハナコと、ときどきカッパ

気が向いたときに、書きたいことを書きます。
本当に、テキトーに…。
家族の日記代わりなので、しょうもない内容とクオリティの低い写真につきましては、ご容赦ください。

今年のGWのお出かけは福島県浜通りへ。
国道399号線を走ってみたくて、早々に決めてはあったものの。
 
お出かけ前日(いや当日の昼間)、国道399号線の地図をネットで(仕事中にコソコソと)調べていた時のこと。
たまたま、この企画展が開催中であると知りまして。
行って参りました。

 

最初の立ち寄り先、日の出直後にJR常磐線日立駅へ。

大好きな日立バイパスを走って、これまた大好きな浜の宮ロードパークで朝の海を眺めながら朝食を摂って。

 
午前9時の開館前に到着して、駐車場で朝寝しちゃって。
オープン直後に入館!

入館料は税込み330円。
職員の女性達の対応が、親切で丁寧で、とても気持ちよくて。
 
企画展示は、当時、風船爆弾を製造していた学生さん達からの聞き取りや、風船爆弾の構造など。
いわき市から横須賀市に学徒動員され、現地で敗戦を迎えた女性の手記は印象的だった。
その方が、動員先の横須賀から、先生に連れられて出かけた江ノ島で買った桜貝が展示されていて。
この桜貝も、持ち主の女性と共に、戦後の日本を今日まで見続けてきたんだな…
と、しみじみ思う。
そして、命からがら空襲を逃れる日々の中でも、桜貝を大切に持ち続けてきた女性の気持ちを考える。
戦争体験から数十年を経ても、当時の記憶をご自身の言葉で語ることができる一方で、小さくて儚くて美しい桜貝を大切にしながら生きるのは、なんとすごいことだろう。
 
 
この企画展示、見るのに時間がかかりますわ…
もちろん、いい意味で。
風船爆弾を飛ばした側(日本)だけではなく、風船爆弾の飛来を受けた側(米国)の当時の新聞記事や写真なども展示されていて。
民間人が、自らの意志に関わらず、いかにして戦争に加担させられ、そして被害を受けるのか。
いろいろ考えるいい機会を頂きましたわ。
 
実はワタクシ、今年の初めから、風船爆弾となんだかご縁がありまして。

1月に北茨城の放球台跡を訪ねたのを皮切りに…

 
3月には、千葉県の上総一ノ宮の
「風船爆弾打ち上げ基地跡」
へ。
 
これは上総一ノ宮↓
 
 

当然だけど、往時の面影はどこにもなくて。

この碑も、道端に何だか唐突な感じで建っていて。

一の宮といえば、2021年の東京オリンピックでサーフィン会場になった場所。

この碑の向かい側には、サーファーさん達のためらしい宿泊施設なのか集合住宅なのか…

きれいな今出来の建物があって。

ライムちゃんを連れて、10年以上前に訪れた時には、海岸も町もなんだか閑散としていて。

それが現在では、大勢のサーファーさん達で賑わっているのは、何よりだけど。

でも、彼らの大半は、太平洋戦争当時、この地から無差別攻撃のための兵器が放たれたことは知らないんだろうな…

とも思う。

かく言うワタクシも、風船爆弾の話をしてくれた彼女の存在が無かったら、そんなこと全く意識せずに生きていただろうし。

過去は時間とともに風化していくのは、ある意味やむなし…とも思うけど。

その時代を生きた人たちから、今の(日本に限って言えば、まがりなりにも平和な)世の中を遺してもらった世代としては、せめて忘れずにいないといけないよね…。

 

これは勿来↓

勿来には、かなり大きな基地があったらしい。

ここも既に往時の面影はまったくないけど。

 

 

昔々の大昔、まだ小娘だったワタクシに、

「女性が生涯独りで生きていく」

その意味や覚悟のほどを教えてくれた彼女は、もうとっくに彼岸に渡ってしまったけど。

彼女と最後に会った時の会話を、還暦を迎えるタイミングで思い出したのも、きっと何かワタクシの人生に大切な意味のあることだろうし。

 

彼女から受け取ったものは、ワタクシのごとき軽佻浮薄なニンゲンには、とても重いけど。

その重さの分、しっかり地に足をつけて歩いて行かれるかな。

 

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