メメント・モリ  | ライムとハナコと、ときどきカッパ

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気が向いたときに、書きたいことを書きます。
本当に、テキトーに…。
家族の日記代わりなので、しょうもない内容とクオリティの低い写真につきましては、ご容赦ください。

『そういや、あの本、どこにあるんだっけ…?』
そう思って探してみるとどこにもなくて、じっくり考えると人に貸してそれっきり…
 
そんな本のうちの1冊がこれ。
衝撃的な写真も多々ありなので、心弱い方にはお勧めできないかも…

メメント・モリ  

 
 
昔々、人は死ぬものだと知ったのは、確か就学前の頃。
「死」
という概念を全く持たずに生きていた子供には、恐怖以外のなにものでもなかった。
特に恐れたのは、身近な大切な人達の死。
祖父母や父母に、
『死ぬとどうなるの?
死んだらどこに行くの?
死ぬときって、何がどうなるの?』
1週間くらい質問攻めにしたのもはっきり記憶している。
「知らないわよ、おばあちゃんだって、まだ死んだことないし」
あまりのしつこさに辟易した祖母が言い放った、この言葉が一番説得力があったな…子供のワタクシにも。
 
当時、とりわけ恐ろしかったのは、母が死ぬこと。
『ねえ、ママ。
死なないよね?
絶対に死なないよね?』
就寝中の丑三つ時に、突然跳ね起きた娘に度々揺り起こされたオフクロ。
最初こそ感動の面持ちだったけど、2~3日もすると
『はいはい、生きてますよ』
目も開けずに一本調子な返事になって。
しつこいガキだったなぁ…。
 
もちろん当時は、50年後の自分が怒りに任せてとはいえ、内心で
『ったくもう…くそババアめ!
くたばれ!』
なんてつぶやくようになるなんて、想像する由もなかったが。
 
 
「メメント・モリ」を、初めて手に取ったのは、学生の時だった。
神田の本屋さんの平積みの中で見つけて、適当に開いたページの写真は本当に衝撃だった。
ガンジス川の岸辺で火葬される遺体、野犬たちに齧られ鳥に啄まれる浮流死体…などなど。
『ニンゲンは犬に食われるほど自由だ』
あの、あまりにも有名な言葉の他にも、印象的な写真に印象的な言葉。
言葉と写真の持つ力…というか、言葉や写真にこれほどの力を与えることができる、そしてそんな人が存在する、そのことが衝撃的だった。
 
本屋さんに行くのは、バイトの給料日と決めていたので、迷わず購入したけど。
友人に貸したこの本は、また貸しまた貸しの末に、所在不明となって諦めた。
同年齢の友人たちにだいぶ遅れて(留年したからね…2年も)社会人になった時に再び購入したけど、それもいつの間にか所在不明。
それに続く長い時間は、たぶん、自分の生を生きること…というより、日々の生活をこなしていくことに必死で、良くも悪くも何の余裕もなくて、この本のことは忘れていた。
 
今回、この本に再会できたのは、ひとえにAmazonさんのおかげ。
届いた現物を見て、
『ふ~ん…初版本か』
とつぶやいた後にビックリ。
なぜ、初版が2008年?
じゃ、ワタクシが30年余り前に見た、あの本は…?
と一人狼狽えたりして。
ちゃんと帯に
「21世紀エディション」
って書いてるのも見ちゃいなかったわ。
 
最初に出会った時のこの本と、今ワタクシが手にしているものでは、掲載されている写真もかなり入れ替わっているんだろうけど。
この本はまた、当分は、ワタクシが生きていく道標になってくれるに違いない。
自分の傍らで、細い細い糸で生と繋がれているかのような最愛の存在を見つめていると、改めて自分の奥底にあるものと向き合おうという気持ちにもなる。
『墓につばをかけるのか。
それとも花を盛るのか。』
もちろん、花を盛るニンゲンでありたいよ…ワタクシを幸せにしてくれた、大切な存在達のために。
だけど、ワタクシの墓には、誰も花を盛ってくれなくても、つばをかけようって人がいても全然気にしない。
ワタクシ、墓はいらないの。
海洋散骨希望なもので。
そんなワケで、ワタクシの墓に、つばをかけられるもんならかけてみろってんだ…
といきがったところで、花を盛るほど愛されもせず、つばをかけられるほど憎まれもせず、誰の記憶にも残らないごくごく普通のニンゲンにすぎないんだけどね。
 

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