1. 悪魔の存在 (1)
「なあ、高野。お前悪魔の存在を信じるか。」
勇一は、思わず目を見開いてしまった。初めての感覚だった。同僚の帆澤樵に突然心の奥を見透かされたような感覚である。必死で自分のことではないと思い込もうとした。しかし、何故か全身から力が抜けていくようにぽっかりと穴が開いてしまった。
もともとそこにあったものは、もうどこにもなかった。すぐに気体となって昇華してしまったようだ。まるで瞳孔が開いていくように、周りの景色が薄く、ぼんやりと遠のいていく。
目の前にいる同僚、手垢で黒ずんでいる電話機、端がきれいにそろった書類が山積みになっている自分の机、訳の分からない張り紙がされた事務所の壁、半分枯れかかっている観葉植物の葉、窓にはりつけられたふざけた名前の社名。まだ2、3年足らずだが、毎日みてきたこの光景が、まるで闇の中にすべて飲み込まれていくように、勇一の視界は10年前のあの日へと溶け込んでいった。
「あんたみたいなやつは本当に悪魔だわ。」
大学時代をずっと一緒に過ごした彼女の眼は、まるでそう叫んでいるかのようだった。
大きな粒のような涙を目に溜めながら、勇一の虚ろな目を睨んでいる。
「いい加減にしろよ。おれの言ってる意味がわかんねえのか。もうどうしようもないんだって。」
自分にも涙がほしかった。彼女のように、心から思いっきり叫びたかった。泣きたかった。
勇一は、一生懸命顔を歪ませてみたが乾ききった目は決して潤うことはなかった。腕時計を見るようなそぶりを見せ、さっと彼女に背を向けると、勇一はまるで自分のブーツの音を確かめるように大きくアスファルトの地面を踏みしめながら、足早にでもゆっくりと歩き出した。
彼女の視線をずっと感じていた。丘を削ってできた団地の坂は、細く、長く、曲がりくねっていた。大通りにでて、駅前のロータリーまでは14,5分歩かなければならなかったが、勇一が駅のホームに立って電車が来るのを待っている間中、あの彼女の視線を背中に感じて、ずっと振り返るのが怖かった。