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ハンセン病を理由とした特別法廷の検証で、最高裁は過去の司法手続きに誤りがあったことを認め、異例の謝罪に踏み切った。裁判所法違反があったことまでは認めたものの、特別法廷が憲法に適合していたかどうかについては深く踏み込まず、「違憲」と言い切った有識者委員会の報告書に比べると、後退した内容になった。なぜ両者の見解に違いが出たのか。【島田信幸、山本将克】

「偏見、差別を助長することにつながり、人格と尊厳を傷つけ深くおわびを申し上げます」。最高裁事務総局のトップである今崎幸彦・事務総長は、記者会見の冒頭で約1分間にわたり頭を下げた。ただ、公表された報告書には分かりにくい記述も目立った。

 最高裁が設置した有識者委員会は、ハンセン病患者の特別法廷は、法の下の平等を保障する憲法に違反するとしていたが、報告書にはこの指摘に正面から答える記述は見当たらなかった。今崎事務総長は、病状などの個別事情などを考慮することなく定型的な運用をしていたことを「差別的な取り扱いが疑われる」とした表現について、「憲法違反の疑いと理解してもらって結構」と説明し、報告書にない表現に踏み込んだ。

 報告書に明記せず、口頭で「違憲の疑い」を認めたのはなぜなのか。隔離政策を違憲とした2001年の熊本地裁判決を受け、政府と国会は謝罪したが、最高裁は検証に消極的だった。憲法には「すべて裁判官は、良心に従い独立して職権を行い、憲法及び法律のみに拘束される」との規定があり、裁判の検証自体が憲法違反に当たる可能性があるためだ。

 今回、最高裁は調査対象を「最高裁による開廷場所の指定」という司法行政事務に限定することで、憲法上の制約をクリアしようとした。報告書の表現にも、やはり裁判の独立を侵害してはならないという考えがにじんだ。

 今崎事務総長は「手続きの検証は個々の裁判の審査と紙一重で、(検証に)踏み込むことにためらいがあった。着手が遅れたことは重く受け止めないといけない」と述べる一方、「裁判の内容が誤っていたかは、(患者側による再審請求など)今後の裁判の中で解決すべきだ」との考えを示した。

 こうした最高裁の姿勢には、患者側からは厳しい批判の声が上がった。全国ハンセン病療養所入所者協議会など患者側3団体は「特別法廷は憲法違反ではなく、単に裁判所法の運用を誤ったにすぎないというのであれば、ハンセン病というだけで患者を憲法の対象外においた司法の責任は全く不問にされたに等しく、到底受け入れられない」などとする声明を公表、踏み込んだ調査の継続を求めた。

有識者委、謝罪の中身問う
 最高裁が特別法廷の検証に乗り出したのは、「全国ハンセン病療養所入所者協議会」など3団体の申し入れがきっかけだった。団体側が第三者機関の設置を求め、最高裁が調査の参考にするとして、大学教授や弁護士らを有識者委に選任した。

 最高裁と有識者委は「特別法廷の背景にはハンセン病患者に対する差別や偏見があった」との共通認識を持っていた。最高裁内部では、早い段階から「差別的な運用があったのは間違いなく、最高裁として謝罪せざるを得ないだろう。焦点は何について謝るかだ」との見方が広がっていた。

 ただ、個別の裁判の結果に影響を与えないように慎重な表現を選ぼうとする最高裁に対し、有識者委が問題点を明確にすべきだと強く求める場面もあった。

 関係者によると、検証の終盤で最高裁は「ハンセン病患者を一律で特別法廷としていた手続きは裁判所法に照らし不適合だった」との見方を有識者委に示し、「不適合」の意味を「事実上の違法」と説明した。

 これに対し、有識者委は「謝罪を考えているのなら、元患者の方々が分かるように伝えるべきだ」と指摘。不適合との表現が「違法」に統一されたという。ある有識者委のメンバーは「最高裁は慎重で控えめで冒険しなかったが、こちらの意見を取り入れて少しずつ変わっていった」と証言する。

 埋まらなかった溝もあった。憲法は裁判の公正さと信頼を確保するため、広く国民が審理を傍聴できると認めている。有識者委は、そもそも社会から隔絶された場所で特別法廷が開かれていた点をより重視し「ハンセン病以外の裁判と同じように公開されていたと言えない」と主張。「特別法廷は最低限度の公開に過ぎず、違憲の疑いは拭いきれない」と指摘した。

 これに対し、最高裁は開廷を知らせる張り紙が掲示されていたことや傍聴人がいた記録があることを挙げて「公開原則を満たさない事例があったとは断定できない」と結論付け、有識者委の指摘については「重く受け止めないわけにはいかない」と記すにとどめた。

 有識者委で座長を務めた井上英夫・金沢大名誉教授は「個別問題では見解は分かれたが、最高裁もハンセン病の差別、歴史、被害を受け止めながら調査していた」と一定の評価を示した。さらに裁判官らの人権研修の必要性に触れ「法学界全体の認識が甘かった点を反省しなければならない。再発防止のために大きく一歩、踏み出してほしい」と注文をつけた。