こんな記事を目にしました。
大学生の仕事選び、文系と理系の境界にチャンスがある

ご存知東芝の不祥事。
記事では新聞記者が大学の理工学部教授に東芝の長年の大失態について
「東芝の経営者が文系ばかりだったのが悪かったのではないですか?」
と質問したことをきっかけに大学教授が考えたことが書かれていました。
今回の不適切会計の背景には原発などエネルギー事業への過大な投資が裏目に出たことを受けて技術の将来を見通す仕事なのに、技術を専門としない経営者で良いのかという疑問が新聞記者の質問の裏にあると筆者は考えたようです。

日本独特の議論だな。。。と思いました。
まずエネルギー投資に関しては会社だけが決めることではなく国(官僚・政治家)とのやりとりが大きく日本では影響するし、文系だから将来の先行きが見えないということもないと思います。

でもこの記事のもっとも日本的なのは理系、文系の区別。

海外にはこのような区別がありません。
そもそも、大学一年生から学部、学科を決めることはなく大学の最初の2年間は一般教養。
将来とるであろう学部も視野に入れて単位を取っていくものの、変更はいつでも可能。
そしてこの2年間に歴史、数学、生物学、科学、人類学、宗教学、音楽などなどの広範囲に一般的知識を身につけます。

日本の大学で文系理系のカテゴライズは明治ころに導入されたものです。
欧米モデルにしたのですが、色々な誤解があり誤った区分で現在まで来てしまいました。
最たる誤解は日本の場合は経営学や心理学を文学部に入れてしまっているところ。
特に経営学部が混乱するカテゴライズをされていると、グローバルな舞台で日本の大学を出た経営学部出身の学生は海外と比べると数字に弱い状況を生んでしまいます。
日本の学生は入学当時から学部を決めてお受験をするので大学内での文系理系の転換が困難です
これでは学生の可能性を潰しているようなもの。
また、日本の場合高校から文系を選択してきた子供は大学でも文系を選んだ場合、知識しかみにつけることができないシステムです。

昔々、まだ誰もが大学に進学していなかったころ、大抵男性は大学に行くなら理数系か医学部に進むようにいわれたものです。
なぜなら文系がお金にならなかったから。
手に職(絶対に使える知識)がある方が将来的に安定した収入が望めるからです。
終身雇用で労働組合があり、年功序列で出世していく時代でした。
ところが、完全に理系を分け、隔離してしまったことにより、その道に進んだ子供たちはビジネス感覚を養う機会を
奪われてしまいました。
結果、工学部は特に経営ができないと思われるようになり。いわゆる文系出身が経営者の地位につく傾向ができてしまいました。

また、昨今グローバルな現場で浮き彫りになっているのは日本の学生にインターンシップがないこと。
医学部なんかであればインターンシップがありますが、他の学部はまずありません。
今までは企業が手足足取り研修をしてくれるのでそれでもなんとかなりましたが、外資系企業ではそんなことはしてくれません。
一方海外の学生は就職する前にある程度企業で勤める経験を積んでいます。
なので、入社時点で大きな差が開いてしまいます。

高度成長期の日本ではトップダウンでひたすら自分のできることを頑張れば評価される時代でしたが、現在は
営業的面や、技術的知識、そして独自性が仕事場で求められる。
つまり個性を生かしていく時代になりました。

大学の先生がこの感覚であると教育改革への道は長いと感じますが、そうも言っていられない状況。
文系理系の壁を早く取り払って高校、大学はに融通の利く選択肢と可能性のある教育システムの導入を急ぐべきでしょう。
行政が用意したレールを選ぶ受動的教育でなく生徒が考えて自分の将来を選択していく能動的なシステムが必要だなぁと思いました。