脚本家の北川悦吏子さんが、難病を患っていたことを初めて告白

私は免疫系の持病があります。
かなり激しい症状で仕事を長いこと休んだこともありました。
夫もやはり免疫系の疾患で長いこと治療を受けており、彼のほうが深刻です。
私は現在色々症状が治まり今まで通りと行かないまでも普通の生活を送っています。
病状が一番ひどい時にはこの北川さんと同様、なぜ自分だけがなぜ。。。
と、これ以上ないほど落ち込んだこともありました。
現在も夫の病状はかわらず通院日はすべての検査数値が落ちていないか気がきではありません。
すでに血球の数が限界値をきっているからです。
その場合の治療はありますが、リスクも高く、多くのケースで良い結果を示すデータがありませんから夫は常に恐怖し、不眠症で長い時間睡眠をとることができません。

日本にいると職場で病気への理解を得ることはとてもむずかしいし場合が多いと感じています。
今は大丈夫だと言っても病歴を認めると雇ってもらえないこともあります。
以前職場で実はこんな病歴があると上司に話したら、
「そんなことは嘘でしょう。」と真顔で言われたことがありました。(未だにどういう意味で言ったのかは不明)

「死期が分かったとしても、人間いずれはみんな死ぬのだから条件は同じ」という人もいました。

病気になって日本はさらに厳しい国だと感じることは多々あります。


二人でこの運の悪さ。。。と夫婦愚痴ることもあるけれど、そのことを忘れるくらい何かに集中したりして将来起こるかもしれない最悪の事態はなるべく考えないようにしています。

だからといって、何かを諦めたり、悲観的になっているわけでもなくて普通に目標をもって、普通に人生を楽しんでいます。
悲観したところで時間はいつもと同じに進み、私たち夫婦も人生を今まで通り進むしかないからです。

このエッセイの作者は最後に自分が書いた主人公たちに励まされると書いています。

なんだかわかるような気がしました。

同じ痛みがわかる人の言葉に励まされることがあるから。。。

夫と私は似たような境遇になったことでお互いの心情を以前より深くさっするようになり、励ましあうこともあります。

難病はほとんどのケースで治りません。こんなことが一生続くのかと思うと悲観したりこれ以上ないというというほど落ち込んだり、もううんざりして叫びたくなる時もあったりします。
でも、同じような問題を抱えた人たち(ほかの患者)とすこし話をするだけで、心が軽くなることがありました。

日本は病気をもった人たちへのメンタルケアーが遅れていますが、こういうエッセイを読んだりすると、患者のメンタルケアを目的としたネットワークづくりが必要だなと感じます。
重い病気になると落ち込むし、時には人が離れていくこともあり、孤立していきます。
家族が心配してもどうもその気持ちに応えることができない。。
なんてこともあって家族からも孤立してしまう場合もあります。

家族は病人のケアで大変ですがメンタル面でも大変な気をつかって看病している方も参ってしまうことは珍しいことではありません。
家庭と病院だけでない場所で同じ日問題をもった人たちと交流を持つことで孤立感を軽減することができると感じています。

少し。。と思うかもしれませんが、長い闘病生活では定期的にその少しの時間を得ることが大きな救いになることもありますし、
その少しの時間をもつことで少しずつ心が軽くなって正常を保てるようになったりします。
そんなことを考えました。