フランスでユダヤ系スーパーマーケットと風刺週刊紙「シャルリー・エブド」の編集室がテロリストに襲撃されてから7日で1年、シャルリーー・エブドがこの節目に発売した拍子にはカラシニコフ銃をかついだ血まみれの神様が描かれました。
どの神様といった記載はありません。

見出しは「殺人者はまだ逃走中」。

この日、シャルリー・エブド旧本社ビルの前には一般の人が訪れ花を手向ける姿みられました。

私はこの表紙を見て、「配慮がある」と感じました。

あえて、どこの神様かぼかして描いていますが、あの12人の風刺画家が殺害された事件を知っている人間ならばどの神様かは一目瞭然ですが、昨年11月13日に発生したパリ同時多発攻撃に配慮し描写を控えたのだと感じました。

それでも「宗教への侮辱だと」批判する専門家はすくなくありません。

バチカンの日刊紙オッセルバトーレ・ロマーノもそれにもれず、今週号に掲載した論説で「宗教の名における暴力を否定しようとさまざまな宗教の指導者が長年繰り返してきたことを、同紙はまたも忘れている」との批判を展開し、「神を利用して憎しみを正当化する行為は、神に対する冒とくにほかならない。ローマ法王フランシスコも繰り返しそう説いてきた」としました。

宗教とは全く厄介だと近頃切実に感じています。
歴史を見れば宗教でどれだけの血が流されてきたかは明らかですが、そんな議論を宗教家とするのは大変困難である印象があります。

宗教が元での紛争はあちこちであるのは言うまでもありませんし、神の名の下に聖戦という言葉を使って全く無関係の人間を殺す光景はネットでいくらでも見ることができる時代に風刺ごときで神の冒涜云々と騒ぐバチカンを見ると、なんかこの人たちってずれてる。。。と感じずにいれません。

信仰は本当に平和もたらすものなのか。。。

宗教団体ってなんなんだろう。。。

政治家、政府、宗教団体という権力をもつものはいかなる言論統制もすべきでないことは言うまでもない。

民主主義国家の原則を権力者達はどう考えているんだろうか。。。

銃撃を受けた同僚が血まみれで横たわる職場を1年前に目の当たりにした、この風刺新聞社の編集長ビアード氏は「私たちは突然、(言論の自由の)象徴となったが、多くの人はフランスの(風刺)精神を知らない。

読者として想定していない人々に語るのは時に困難なものだ」と語っています。

宗教家の人たちは聖書には「殺すなかれ」とかいてある。
宗教は悪いものではなく、その昔混沌とした世界をよくしようと考えられたもの。
そして信仰というの混沌とした世界では救いとなることもあるでしょう。でも、そのバランスは保たれているのでしょうか。
特にローマ教会のような力を持った団体がたかが風刺に目くじらをたてるのを見るのは逆に恐ろしい。
ローマ教会だって人間のおじさん達の集まり。
人はびょうどうのはずが、いまだ男尊女卑はひどいし、子供への性的虐待もありました。同性愛者などもってのほかと先頭きっていっていたのもこの人たち。
貧しい人たちからお金をとって豪華絢爛なイベントや教会を立ててき税金も免除されたりするのを見ているとやはり疑問を感じずにいれません。

宗教と宗教団体、権力の関係を見直す時期に来てる気もする。
そう思ったニュースでした。

シャルリー・エブド襲撃事件 生存者の証言

注釈1
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神を拝める宗教で、解釈の違いで何百年も争っている

キリスト教とイスラム教はユダヤ教から派生
これら3つはすべて「一神教」といわれ他の神さまの存在は認めない
西暦0年がキリスト教誕生の年で、西暦610年にイスラム教が誕生しているので、イスラム教がこの中では一番新しい宗教