おこんばんはー
1927年のサイレント映画『第七天国』は、シアター界のとある重要人物の"命を救った"映画らしい、と書きました。
その人物とは…
作詞家、劇作家、プロデューサー、東宝取締役等々で知られる菊田一夫さんですー
私は日本のミュージカルの歴史に興味があり、せっせと資料?を集めております。
マイお宝パンフレットの数々でございます。
秦豊吉が帝劇社長を務めていた頃の作品6冊をコンプリートし、その後、、
菊田一夫氏が東宝の演劇担当役員になってからの東宝ミュージカルス5冊をゲットしましたが、、、
秦豊吉氏は「帝劇を美人劇場にしたい、いわば日本のジイグフェルト劇場が欲しいのである」的な、ものすごく具体的なビジョンを1回目から表明していたのに対し、菊田一夫氏は第五回になっても「ミュージカルと呼ぶにはまだ技術的にも幼すぎる」とか「かつて日本には存在しなかったミュージカル・プレイが、どうして唯一夜で、コツゼンと出来上がったりするでしょう。」とか、やたらと言い訳っぽく低姿勢な事を書いておられる。
とはいえ、その後『マイフェアレディ』を成功させたり『オリバー』の招聘公演を実現したりと、日本のミュージカルを発展させていったパワーには計り知れないものがあります。
どれだけの熱意と労力をミュージカルに注いだのだろう…
しかしその原動力はどこから…?
パンフレットからは全く読み取ることができません。
そもそも、詩人志望だったこの方はミュージカルがどのくらいお好きだったのか…?
不思議に思っていたところ、ご本人が書いた『第七天国』のエピソードを読み、(ミュージカルの事が書いてあったわけではありませんが)なんだかいきなり腑に落ちたのでした。
日頃気になっていた他の疑問までも解決したような気になりました。
続きます