王様と私の王様について調べてみた。 | Hobo Jungle  昭和のかおり ♪♪♪
こんにちは ビックリマーク


ミュージカル『王様と私』繋がりで、シャムの王様ラーマ4世についてお勉強しました。すこーしだけですが てへぺろ


リンカーンセンターシアターでロビーの箱に1ドル寄付ししつつ頂いてきた冊子から、ラーマ五世(チュラロンコン王子)時代あたりの王室まわりのお写真↓


こちらはWikipediaのパブリックドメインから↓

左が渡辺謙さん演じたモンクット王(ラーマ4世)、右が子役さんや小柄なオトナが演じたチュラロンコン王子(ラーマ5世)です。


ラーマ4世モンクット王の統治は 1851-1868年、後を継いだラーマ5世の統治は 1868-1910年。
『王様と私』は1860年代のお話でした。


まじかるクラウンまじかるクラウンまじかるクラウン

タイ国政府観光庁の公式サイトが、とても参考になりました。
ラーマ1世以降のチャクリー王朝(1782年〜)では、中国との貿易を重視しつつ封建的な統治が行われていたようです。
しかし時代の流れとともにヨーロッパ列強の圧力が強まり、ビルマ、ラオス、カンボジアなどの近隣諸国が相次いで植民地化 ガーン

(劇中、謙さんキングは「バズルメント」を歌いながら政策についてアタマを抱えておりました)

そこでラーマ4世、ラーマ5世の時代に方針が転換され、イギリス、アメリカ、フランスと通商貿易条約を結び、絶対王政のもとに行政改革、交通、通信、電気事業などの近代化が行われていったそうです。

(この時代、王室の子供たちを教育するために呼んでこられたのがアンナ・リオノウンズでした。劇中にも語られるように、それまで宣教師が教育に携わっていたのですが、宣教師はこれを機にと改宗を求めてくる。即位までの間、長らく僧侶として寺院で暮らしたラーマ4世が仏教からキリスト教へと改宗する筈はありません。宣教師ではないイギリスの人材を探し、アンナがやってきたという訳。)

そして近代化事業の努力と巧みな外交政策の結果、

タイは列強の侵略から東南アジアで唯一独立を守り通すことが出来たのでした  ロケットロケットロケット

その後、官僚や軍部らによる1932年の立憲革命によって王は象徴的な存在として憲法に定められ、立憲君主制へと移行。
さらに1939年にはシャム国から「タイ王国」と呼称を改め、現在に至っています。


。。。

当時の列強諸国に植民地化されたカンボジアなど近隣国がその後歩むことになった道のりを考えますと、ラーマ4世、ラーマ5世による方針転換は国民の未来さえも変えたと言えるのでは。

ラーマ4世は、継承争いを避けるために腹違いの兄に即位を譲って、自分の即位まで長期に渡り寺院で暮らしたらしいのですけれど、学問に熱心で語学や天文学を学んだ方だったとのこと。

また、劇中批判のマトとなる宮殿の一夫多妻制〔英語的な概念では単なる多重婚?)、1人の王とたくさんの妻というシステムには、当時、政治的な意義が大きかったらしい。

ついでに書くと、リアルのアンナは出自等々を詐称していたそうで、アンナ自身の著作が日本語訳されていないので読めませんが、内容には彼女に都合の良い誇張もあるかもしれません。

タイでは『王様と私』上演禁止、という気持ちはわからなくもないです。
王様は、時として子どもっぽく描かれていますし、幾度となく繰り返されるバーバリアン(野蛮人)という単語はタイの人々の耳には不快でしょう。

なんですけど、、、


長くなったので次回に続く、と思います 宝石ブルー宝石緑宝石紫