「マイ・フェア・レディ」初演前夜 | Hobo Jungle  昭和のかおり ♪♪♪
おこんばんはーー


日比谷シャンテに行ってきました!
なかなか輝かしい整理番号の付いたチケットを握りしめて…


日本一上品なHMV?なーんて、他の店舗を知らないくせに思っている日比谷シャンテ3階のHMVが会場でした



東宝の演劇部の方と安倍寧先生による『マイ・フェア・レディ』前夜… 日本のミュージカルの夜明け時代に関する興味深いお話でしたビックリマーク

1960年代初頭、日本の演劇は、商業演劇(歌舞伎も新派も、だそうです)と、新劇(俳優座、文学座、民芸、など、とのこと)に分かれていて、翻訳ものというのは「赤毛」と呼ばれ、商業演劇で行うことがなかったそうです

今の感覚では想像出来ないけど びっくり

だからこの “日本初の翻訳ミュージカル” というのは、大変に挑戦的な試みだったんですねぇビックリマーク

しかし新劇の方々が外国のものを演じると、ガイジンらしさというかわざとらしさが出て…ちょっとクサイところもあったそうですが、日本初演『マイ・フェア・レディ』のキャストには自然さがあった

益田喜頓さんのピカリング、八波むと志さんのイライザの父など、すばらしいはまり役だったらしいです

益田喜頓さんや八波むと志さんのような喜劇の俳優さんたちは浅草で大衆演劇をなさっていて、海外のトーキーの喜劇映画をお手本にしてたから”西洋風” が自然に身についていた、ということだったみたい びっくり

“浅草” というキーワードでは、製作・演出の菊田一夫氏も浅草で仕事をしており、イライザ役の江利チエミさんのお父様(久保益雄; 当時のスター 柳家三亀松の伴奏者)、お母様(谷崎歳子; 軽演劇女優)は浅草で菊田氏と仕事仲間であった、というのもキャスティングに影響していたかも、というシブいお話もありました

準備段階、初期の発表では、イライザは雪村いづみ、ヒギンズは森繁久彌だったのが、実際には江利チエミ・高島忠夫になったのですよね ウインク

お客さんを呼べるスターということで江利チエミさんが選ばれたというのがメインの理由ではあったようですが、それにしてもチエミさんのご両親と菊田氏が知り合い、ってお話は、私たちにとっては未知の世界ですね

イライザ役って、ジュリー・アンドリュースやオードリー・ヘップバーンのイメージだと雪村いづみさんの方がそれらしい気もしますが、下町の花売り娘を演じるチエミさんのコミカルな演技に客席は沸き立ったようですし、プロの関係者には心配されていた貴婦人となってからのイライザもとても美しく上品だったらしいです

イライザの描き方は時代とともに変遷してるそうですが、江利チエミさんのイライザは現代でも通用しそう、といつも思う ラブ

、、、と、お話の1/10も書いてないけど長くなってしまいました

多分続く ウインク



おまけの写真です

益田喜頓さん
初演から20年以上経って演じられた益田喜頓さんのピクリング大佐を東宝の方がVHSビデオからパソコンに落として見せてくださいました
舞台で観たかったです


八波むと志さん
これから八波むと志さんの時代が来る、と思われる程の才能があったのに、翌年1月の再演中に突然の交通事故で亡くなったという悲劇 
酔っ払いの演技、とても上手だったそうです