慰霊徒歩 | グルダのブログ

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夏休みに帰省したらやろうと思っていたことがありました。

「慰霊徒歩」。

そんな言葉があるのかどうかわかりませんが、やらずにはいられませんでした。

それは、3.11… 帰宅途中に津波にのまれて亡くなった大曲小学校の児童へ、

せめてもの慰霊の意味を込めて、片道約3キロの通学路を歩こうというもの。

30年以上前に自分が毎日通った通学路。

親子ほど年の離れた自分の後輩達へ思いを馳せ、ただ歩こうと…


仙台石巻間を走るローカル線、仙石線はまだ完全復旧の目処が立たず、

東松島市あたりの線路はまだあの時のままです。

大曲小学校に最も近い駅は陸前赤井という駅で、ここまでは電車が走っているため、

石巻から乗ってここで降り、約1キロ先の大曲小学校へ向かいます。

ひたすら南へ向かうまっすぐの一本道、ここから先は日差しを避けるための

ものが一切ありません。

気温34、35度くらいあったので、駅近くのコンビニで500ミリリットルの

水とスポーツドリンクを買い、飲みながらただ歩く。

途中、暑さで倒れたらどうしようという不安もあり…

なぜならここから先太平洋にほど近い集落は誰1人住んでいないからです。

そしてそこは我が家があった集落。

小学校から集落までの間は両側がきれいな田んぼがあったのですが、今はただの荒れ

地となっています。

まだ、船や車の残骸も片付かずに残ったまま。

悲しいのは無数に転がっている日用雑貨品の数々。

田んぼの中に泥だらけになって転がっている、食器を洗うスポンジや皿が強烈に印象に残っています。

「日常」があったんだなぁという「証拠」に、言葉では言い表せない残念な気持ちになりました。

児童達がここを歩いていて、向かいから津波に襲われたかと思うと、かわいそうで…


ひたすら祈りながら約2キロ進むと、実家のあった集落に到着。

しかし…

「この先は水没しているため、車は入れません。」

と1台のパトカーがスピーカーで注意しながら巡回しています。

よく見ると、三重県警のパトカー。

応援、ありがたいことです。

まだまだ支援してくれているようです。

先を見ると、やはりあちこちが浸水していて、長靴でもないと歩けない状態でした。

地震の影響で、石巻のひどい所では70センチ以上地盤沈下しているそうで、おそらく

この、東松島市の海岸付近も50センチ程度は沈下しているものと思います。

今回、慰霊徒歩ともう一つの目的は、自分の生まれ育ったところの、最後の姿を目に焼き付けるというもの。

次に帰ってきた時には片付いて更地になっている可能性があり、おそらく自宅のあったところまでは、

目印もなくたどり着けないと思ったためです。

ところが…

自宅の周りも浸水していて、近くまで行くことができませんでした。

5月に来た時は行けたのですが、どうしてこうなってしまったのか…

自宅跡の基礎部分に座って、最後にぼーっとした時間を過ごそうと思ったのですが、それもかなわず。

思い通りにはいかないものです。


人1人いない集落跡を歩いていると、何の音が聞こえると思います?

風の音と鳥の鳴き声しかしないんです。

他に生命感のある音は何もありません。

こういう体験も始めて。

今思えば、ラウンド中のゴルフ場の音に似ているかもしれません。

だらだらと集落を歩き、また駅まで片道4キロを歩いて戻りましたが、

駅に着くと、胸のつかえが取れたような、不思議な充実感がありました。

高校の通学では毎日使っていた駅ですが、今では無人駅となってしまった陸前赤井駅。

地震や津波とは関係ないですが、これもまた悲しい。


ホームにある待合室で40分ほど電車を待ちましたが、入ってくる風の

気持ちのよさと言ったら、都会では味わえないものでした。

やはり田舎の風は心地いいものです。

そして、自分の故郷はここしかないんだなぁと改めて実感。

少し気持ちの整理がついたような気がした1日でした。

8月15日