空虚な戯言  -4ページ目

モラトリアム


空虚な戯言 -0712mo
熊谷達也 『モラトリアムな季節』




“・・・正義は、どちらかというと空回りすることのほうが多い。
とりわけ、思春期から青年期にかけて抱く正義感というものは、
実際には社会に対する鬱屈の裏返しである場合がほとんどなので始末が悪い・・・”





今日読み終えた『モラトリアムな季節』の冒頭の書き出し、
タイトルに魅かれ、そんな書き出しに魅かれ意地になって読んだ。

>>「モラトリアム」
>>人間の成長の中で社会的責任を猶予される期間。
>>もともとは経済学の用語で、「支払猶予期間」のことを指す
>>やがて心理学の用語で、「大事なことを引き延ばしに引き延ばして、やらない状態」
>>のことをいうようになった。

内容はおいといて自分自身のそんな時期を想い返し、
色彩も抜け、格好良くいえばセピア色とか言うかも知れないけれど
実際にはもう色褪せたそんな中を過ごした自分を。
そんな切っ掛けと冒頭の書き出しが良かった。

自分の正義は言わば価値観で
一人で完結させるなら自己愛で、妄想に近い。
対象が不特定多数でもほぼ同じ意味だろう。

“ただ不安を煽る、騒ぎ立てることが正義だと思っている人が多い、
日本中が騙されてモノを知らないけれど自分だけは真実を知っている・・・、
そういう本当は優越感の塊のような正義感で。”

前に拾った言葉だけれど、共感した。
使い慣れない“正義”や“批判”、“反抗”に震えて興奮しているかのように
一人氾濫しているような人間を見かけることもある。
情報リテラシーってのはインターネットを利用するって意味じゃない、
オモシロおかしく言えば、“~したらシェア”なんてね。

本当に悪人がいないと信じたり、本当の善人がいないと想っていたり
そんなのが自然だと想うんだよね。
ただ小さな世界での正義や優しさは必要だと想う、
ちょっと高いとこに立って大袈裟にそういったのモノを
振り回しているのは胡散臭いし、責任がない。
大切な数人の前でそういったものを優しく使える事が大切な気がする、
そう願いたいし、そうでありたい。

ストレート


空虚な戯言 -0608satoshi
『聖の青春』


今朝は朝からBOSTONの1st「幻想飛行」を聴いている。
ここのところ相変わらずヘタクソながら、コンピュータ対戦の将棋も価値が増えてきた。
先日に読了した大崎善生著「聖の青春」は久しぶりに読み終わる電車の中で涙した。


“いつか、きっと” と “近いうち必ず”は少しニュアンスが違うかも知れない。


幼少期に患った難病「ネフローゼ」、常に死が傍にあり、
“さまざまな嘘をつく大人”、“弱い物を見捨てる大人”を憎み、
将棋という海を眺め、将棋という翼で短い生を駆け巡った
村山聖の生涯を大崎善生が描いた『聖の青春』、相当にグッときました。
同著者『アジアンタムブルー』も嗚咽するほど泣いた作品だけれど、
『聖の青春』は一人の人生がグッと胸に突き刺さる、
そして彼を包む暖かい人間模様がステキすぎる。

“酒を呑めばいつも本音で想っていることをストレートに表現した
たとえそれでその場が険悪になったとしても村山は構わなかった
病院で少年時代をすごし、常に身近にある死を意識しながら生きてきた村山にとって
人間の駆け引きとか狡猾さを学習する時間はなかった。
お世辞も、自分を一歩引いて相手を立たせる様なテクニックもなかった”

ほんの一部の抜粋だけれど、知らない村山聖が垣間みれるし、
自分の中の後ろめたさも否めない。
そのテクニックだったり、人付き合いの器用さの必要とされる場所は
死を身近に想わない、漠然と長く生と付き合うだろう対象の
無意識に身につけるものなのかも知れない。
エピローグは目頭が熱くなり、涙を堪えることが出来なかった。
とても良い本を読めた。

村山聖の師匠である森信雄七段との生活がとても微笑ましく
素敵に描かれている、何とも言えない貴重な時間を感じられる。
実際読了後に検索してみたら
森信雄七段のブログが出てきて、
村山聖”のテーマで40程の写真付きの日記が見れたのがとても嬉しかった。

森信雄七段のブログより
http://blog.goo.ne.jp/goonobuo1952/e/1d233664d9dcdd4a90d885dd0bc6b93f

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空虚な戯言 -0608satoshi2
村山 聖

(むらやま さとし、1969年(昭和44年)6月15日 - 1998年(平成10年)8月8日)
広島県安芸郡府中町出身。将棋棋士、九段(追贈)。森信雄七段門下。棋士番号は180。
いわゆる「羽生世代」と呼ばれた棋士達の一人。

村山九段は5歳のとき腎臓の難病「ネフローゼ」と診断され、入院中に将棋を覚えた。
闘病生活を送りつつ森七段の初弟子として修業を積み、実力トップ10のA級順位戦に昇り
「東に天才・羽生あれば西に怪童・村山あり」と称された



「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。
僕は死んでも、もう一度人間に生まれたい。」

今年の目標は?      生きる。
好きな言葉は?      土に還る。
行ってみたいところは?  宇宙以前。

87th 国展


空虚な戯言 -0601rei2
『もたれる人」』 《180×50×100cm・桂 》 「A Man leaning on」 katsura tree
黒沼 令 (rei kuronuma)




結構、こう書き残しておくと色々とオモシロいものだな、ブログって。
気軽に何か書こう書こうと想いながら、3ヶ月空いてた(涙)
せめて月に2回は何かしら書き残してみたい。




今読んでいるのは、大崎善生の処女作『聖の青春』、
個人の趣味では外れたコトがないお気に入りの作家の一人だ。
将棋をモチーフにした話で、将棋には縁がなかった僕にはストックしてたけれど
何だか手を付けていなかった。
『将棋の子』があまりにもオモシロすぎて、読もう読もうとしてはいたけれど、
たまたま手に取らなかっただけ、まだまだ途中だけれど、やっぱりオモシロい。
そうだ、将棋まで買ってしまったし。

小さい頃も家には麻雀も将棋もあった、軍艦将棋まであった。
でもね、そう言ったゲームは家族の中でも歴然として僕が弱かった。
何なんでしょうね、両親、弟2人の4人が強すぎると今でも信じていたいのですが・・・。
毎年GWに次男が一定期間上京して来るんだけれど、
その時に一緒に東武デパートに将棋を買いに行って、早速勝負したのけれど・・惨敗。
頭が悪いのか、センスが悪いのか、とにかく普通に悔しすぎました。
秘かに麻雀も将棋もリベンジしたいなとは想いつつ、
特に練習している訳でもないし。

そんな家族が拠り所なのは今のご時世、当たり前ではないのかも知れませんが、
古くさいを地でいく僕にはやはりそれは揺るがない事実だし、そして運が良いのかも知れません。
手を広げて届く範囲を大切にしながら、たまに広い景色も眺めてみたい感じ。
たまに聞く “
自分一人で生きていける” ってのは、時に乱暴で無謀な考えとも想えたり。

“贅沢な暮らし”と“質の高い暮らし”が全くの別物のように、
「豊かさ」って本質は千差万別。
物質的に恵まれた環境での充実感と、精神的に恵まれた環境での充実感は大きく異なってくるかなと。
人の心は案外に狭いトコでも活き活きと育つように組み込まれている、そう思いたいし
時々、そんな実感もある。

GWに上京してくる弟の今回の作品は “もたれる人” 。
そんな、“よりどころ”だったり“もたれる”コトのある環境は大切だと
無理矢理にコジツけてみた。


ってな、夜更かししてたら朝になってしまった戯言。


空虚な戯言 -0601rei1
『もたれる人」』 《180×50×100cm・桂 》 「A Man leaning on」 katsura tree
黒沼 令 (rei kuronuma)



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■もた・れる【凭れる/靠れる】
人や物に自分のからだの重みをあずける。寄りかかる。

■より‐どころ【▽拠り所/▽拠】
頼みとするところ。支えてくれるもの。

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rei kuronuma
http://www.kokugakai.com/cyoukokubu/ryakureki/kuronumarei.html

カン


空虚な戯言 -0601


少なくとも読書は効率的で生産的な時間潰しだという実感は相当にあるし、そう想いたい。
たまに下心(何かを知りたいだとか、そんな色々)もあったりするけれど、
基本的には移動や睡眠に落ちるまでの時間潰しということにしている、
そんな下心を意識下に仕舞い込んだと想いながらも、
とてもオモシロいモノに当たると、単なる時間潰しで素敵な巡り合わせに大きく喜べるだろうし、
そうでもないモノではそのまま時間潰しで終えれる。


・・・全く無意味でアホっぽい話だけれど、
案外そんな考え方って多いなって想った。




こないだ白石一文の“この世の全部を敵に回して”を読み返して
その後にたまたま部屋にある文庫のストックから同著者の“砂の上のあなた”を読んだんだけれど、
あくまで個人的な感想だけれど、凄くオモシロくなったと言うか
少し小説ってジャンルを飛び越えて、何だかひどく納得の出来る他人の哲学に触れた気がした。

まぁ、ここはひどく個人的な戯言を不定期に連ねてるだけだから好き勝手に書くけれど
著者の作品は凄く刺激を受けることが多い、でも同時にひどく退屈に想えるものもある、
でも、本当にオモシロいモノってそんな感じに自動で記憶出来ている、
オモシロくもツマラナくもないモノってのは、とても忘れやすい、記憶にもかすめないんだ。


始めに読んだ “この世の全部を敵に回して” は
読み返したものだけれど、著者独特の尖った哲学、世界観がいたるところににちりばめながら
世界、人生、生と死・・を無慈悲で悲惨で理不尽だったりラジカルなのかフラットなのか淡々と綴られる。

>>私には一人の息子と一人の娘、妻がいる
>>私は子供たちのことも妻のことも愛していない

>>これから死んでいくあなたにとって何より恐ろしいのは
>>あなたという意識が失われることである
>>“私という意識活動の停止”

>>本気で戦争がなくなればいいなどとは誰も望んでいない。
>>私たちが望むのは戦争との一定の距離感でしかない。
>>自分が加担したり、加担されたりする戦争にはとりあえず反対する。そうやって直接には
>>関係しない位置から人々の殺し合いを眺めるのは私たちにとってワクワクすることなのだ

>>本当に人間は癌の様な存在だ。生みの親であるこの地球の生命存続の
>>システムから一人離脱して、そのシステムをいいように破壊し、無秩序に繁殖しているのだ

と、まぁ少し抜粋して改めて文字にしても結構な表現だ、
でも読んでいくと理解は出来る、“理屈っぽい”との批評も多い著者だけれど
僕は結構好きだったりする、凄くクセになるし。

んで、その後に読んだのは “砂の上のあなた” 。
同じ様にいたるところに哲学や世界観が見え隠れしているのだけれど
“この世の全部を敵に回して” のような淡々とした手記ではなく、
少し変わった愛の形の物語。

>>「因と果ははてしなく私たちを包み込み、ただ、私たちはその因果をいちいち探ろうとせず、
>>また探ろうにもその術を持たされていないがゆえに、便宜的にそれぞれの関係や出来事を
>>『偶然』と名付けて意識下に追いやっているにすぎないのではないか……。」

>>運命は遺伝するのか。命から命へ脈々と根を張る「縁」に搦め捕られる
>>男と女を描いた圧倒的長編小説

>>すべては繋がっている。愛も、運命も、人生も。
>>この醜悪なる、世界の果てで。

まぁ、内容までは書かないでおくけれど、帯コピーとか言葉を拾うとそんな感じ。
物語としては確かに都合のよい形と想える部分もあるけれど、個人的にはそんなコトはどうでもよかった、
何だかその二つの読み物をその順番で読んだら何だか大きな優しさに触れた気がしたんだよね、
そんな二つ読み終えた後に感じた感動がちょっとショックだった。
それも“偶然”なのかも知れないけれど、流通を通してのそういう巡り合わせに勝手に感動したり。。
まぁ、その感動も独りよがりな自己解釈かも知れないけれどね。



人生は何かをするには短すぎるし、何もしないには長すぎる 的な言葉を耳にしたこともあるけれど
始点~終点の観念だと理屈も解る、解った上でもすんなり入ってこないけれどね。
ただ、まぁ人生だったり何かと意味を持たせようとしてやり過ごすことは
面白く時間を潰す、時には生きていくコツにもなるのかも知れない。
冷静に考えると全てが退屈で、たまに恐ろしい程に掘り探って検証すると
日常の意味が全く解らなくなり恐ろしい。
だから時々、確認も込めて意味を持たせなきゃいけないって想ったりする、
叫ぶことのない、しっかりとした意思と意志を。

人生一度きり、楽しまなきゃ損!って想えるほど若くもないし、幼くもない。
幻想的な世紀末観を持って、検証も出来ない不幸や不運をシェアしながら、
知らない誰かと同調するほど、友好的でも軽率でもないし。



何度か例えた個人的な経験だと、
小学校の登下校の通学路に空缶を蹴り続ける、
途中でそれを無くしてはいけない、
もし無くしたならばと漠然とした罰をもそれなりに用意したりして。
その一人のルールと一人の罰はオモシロい。

スプリング

空虚な戯言 -0316fl

春にバネのように跳ねたくなるのは
・・・・・どちらもスプリングだから?



そんなクダラナイことですら気持ちよい天気だったな、昨日は。
気温が暖かいから? 花が咲いているから? ・・・・、
この前の日記じゃないけれど、嗅覚ってあるんだよな、新しい季節の匂い。
もちろん根拠もないし、また寒くなることもあるかも知れないから
たいしてアテにもならないけれど。

今日は東京メトロ副都心線が延線し東横線乗り入れの日、
ちょっと離れた新横浜までお散歩へ。
池袋駅はいつもと大して変わっていないけれど、
電光案内板に表示される電車の行き先は今まで連れてってくれなかった
場所を表示している・・・あぁ、凄い。
渋谷までは特に違和感もなくいつもの電車だったけれど
代官山、中目黒・・自由が丘と直通で通過するのは、ちょっと嬉しかった。

まぁ、ここのところ便利なコトに馴れつつ
それらが僕が小さい頃に期待した未来なのかと言えば、全く別もので
電車網でも、電子マネーのカードでも、携帯電話でも、パソコンでも、SNSでも・・・
きっとそんなコトでもないんだろうな、想像した未来、
確かに便利でらくちんに過ごさせてもらっているけれど、何か違う。

多分もっとブットンだものを期待してただろうな、
それこそ、タイムマシーンだったり。

そんなタイムマシーンの話が出てくる
村山由佳著『約束 ―村山由佳の絵のない絵本』、
菊名の駅に着く前あたりで気が付いたら
涙が出そうになった。
S51年に産まれた少年4人が出て来る短編の1篇なんだけれど ね。

春だな、春。

空虚な戯言 -0316ha1

空虚な戯言 -0316ha2