助産師のお産が「道」なら、無介助分娩は「ただのケンカ」 | 岐阜県郡上の妊婦さんや母乳育児中のママのための鍼灸院

岐阜県郡上の妊婦さんや母乳育児中のママのための鍼灸院

数千例を超える出産や母乳育児に立ち会ってきた助産師です。病院の検診だけでは安心して出産が迎えられない妊婦さん、通常の母乳指導に満足できない‘子育てにこだわりたい’ママのためのに身体と心にアプローチする針灸院です。

岐阜県郡上八幡の
助産師&鍼灸師の
加藤祐里です。

昨日の瑞穂市おひさま保育園の
吉野園長先生のお話を
聴いて、助産師のあり方
みたいなものを
考え直しました。

シュタイナー教育というと
勝手に遊んで、
勝手におやつを食べて
勝手に帰ってくるような
イメージがあるかもしれないけど

おひさま保育園は
決して、規律がなかったり
秩序がないような
環境ではありません。

実際に行くと
よく分かりますが
‘普通’の保育園より
静かで、きれいで
子どもたちは
落ち着いています。

先生たちも声の大きさから
言葉の使い方、
子どもへの関わり方
歌の歌い方など

子どもたちをよく観ているし
自分たちの立ち振る舞いが
どう見られているかも
よく訓練されていて
すごく頭を使って
保育をされています。

(うちの息子が通っていた
田舎の保育園の先生たちは
上から言われることだけしか
やらないような先生が多かったから

ちゃんと考えて
子どもと関わってくれる
先生はよく分かります)

保育士さん一人の
経験と勘に頼った保育でなくて

膨大なデータと
さまざまな角度から
人を理解するために
集められた理論と

この保育園(幼稚園)が
過去に培ってきた
全職員や
卒園生や
その保護者たち、
その地域の

「将来、こんな大人に
なってほしい」という
たくさんの人の想いが
こういう保育の形を
作ってきたのだと思います。

吉野先生が発している
不思議な「氣」は
決して天然のものではなくて

いかに子どもを不快にさせず
大切なことを伝えていくか
何年もかけて
培ってきた技なのです。

それは武道や茶道のように
何回も繰り返し
型を練習して
目をつむってでも
その通りのことが
できるようになるような
‘修行’によって
成し遂げたものなのでしょう。

最近、医師や助産師の介助を
受けないで
全くの無介助で出産をする人が
増えているそうです。

本当はかかりたいのに
お金がないとか
相談する人がいないとかではなくて

自分の理想のお産を
叶えてくれるような
施設も助産師もいないから

だったら、一人で誰にも
頼らず産んだ方がマシ、みたいな
スタンスです。

気持ちは分からなくもないですが

私たち助産師が介助する
お産がちゃんと型をやルールに
のっとった空手や剣道のような
武道だとしたら

無介助分娩は
「ただのケンカ」です。

確かに相手を
打ちのめして
勝つことができれば
手段は何でもいいかもしれない。

でも、そこには
美しさも
気高さも
誇りもないです。

自分が勝ちたいとか
強く思われたいという
‘欲’だけ。

行き当たりばったりで
たまたま上手くいっただけで
どの人にも当てはまるわけじゃない。

素晴らしい技術や理論ほど
再現性があって
どんな国でもどんな時代にも
共通して役立つような
「軸」があります。

(ナイチンゲールとか
助産師学校の教科書とか
学生の頃は
暗記することに必死で

当たり前すぎて
そんなに面白いとも
思わなかったけど

今になって読むと
すごく大切なことが
書いてあると
納得できます。)

きちんと型とルールのある
闘い方では
負けてしまうかもしれないし
自分の思い通りにならない
かもしれない。

だけど、その不自由さや
納得がいかない経験を
味わうことで

自分の内面と向き合って
より大きな世界のなかで
自分が生かされている
小さな存在だと自覚し、

人として成長できるから
「道」と呼ばれる
技術や技は
長い歴史で大切にされ
生き残ってきた
意味がある。

実際、お産下手な人が
介助すると
あちこち血がついて
汚いんですよ。

お料理の手際良い人は
お料理しながら
道具を洗って
キッチンが片付いた状態に
していくように

お産が上手い人は
そんなに道具を汚さないし
ガーゼや綿花の
無駄使いもしないし、

片付けが楽なように
場を整えながら
お産をします。

どんなに腰が曲がった
おばあちゃん産婆さんも

お互いが無駄な力を使わないよう
気を乱さず
呼吸を誘導する姿は
背筋が伸びてくるように
みえてくるんです。

なかなかそんな熟練した
助産師に出会えなくても

若くて経験がなくても
相手を尊敬して
信頼して
受け入れる
‘素直さ’があれば

自分のことも
受け入れてもらいやすく
なります。

自分の価値観だけが
正しくて
誰かに出会いにいくのを
諦めて自分の世界に
閉じこもってしまったら

そんな人には
出会えません。

お産って
形じゃないと思います。

帝王切開になったとしても
産んだ母親が
自分のお産ができたと
満足できることが
目的だと思います。