最近、我が家には↓この方達がよくいらっしゃいます。


伝わりますか?笑

阿佐ヶ谷姉妹さん大好きです。


どこのとは言いませんが、宗教の勧誘です。

ご年配の女性で、1人か2人で来ます。ご近所に住んでいるんですよね〜。


上品な格好の優しそうなおばあさんで、私が庭に出ている時などに、通りかかったのでご挨拶しましたと自然な流れで話しかけてくるんですね。最初は勧誘という感じではありません。ちょっと世間話をした後に聖書の一節が書かれた紙を渡されるだけでした。ですが、最近はインターホンを押して「私たちこういう会をやってるのよ」みたいに、徐々に踏み込んできています…。


我が家がこの方達にロックオンされたのは、やはり「障害児がいる家」だからだと思います。いやもうこれしかないですよね。確かにね、悩みも不安も多いですよ、カミサマホトケサマにすがりたい気持ちもありますよ。言い方悪いけど、そこにつけ込んでるんですよね。もしかしたら純粋に心配してくれてお仲間に入れてくれようとしているのかもしれないですが。

どちらにしろ、うちなんて有力見込み客リストの一番上ですよね。


そうなってしまった直接の原因は、重度知的障害の次男です。彼がですね、めちゃんこ懐いているんですわ、この宗教おばあさんたちに…。ため息


次男は優しくてかまってくれそうな人についていってしまいます。そして満面の笑みで握手したり抱きついたりキスしたりするので、普通の人には引かれるんですが、おばあさんたちはそれを笑顔で受け入れてくれるんですよ。次男はおばあさんたちを見かけると大喜びで駆け寄っていってしまいます。


インターホンが鳴って宗教おばあさんだとわかると一目散に玄関に行き、ドアを開けて、歓迎のハグをするという…(この時の私の苦々しい表情をみなさん想像してくださいね。キメてる)


そりゃこの方達も勧誘に来ますわ。


次男の距離感のなさはずっと問題だと思ってまして。これから身体が大きくなればさらに大きな問題になるだろうと思ってます。学校やデイサービスとも話し合ってなんとかしようとしているのですが、「本能」の部分に近い行動はなかなか制御できないのが現状です。本当は次男が抱きついたりしたら冷静に突き放さないといけないのです。でもおばあさんたちは満面の笑みで受け入れるから、次男はおばあさんが好きで好きでたまらない!といった感じです。知的障害者の「好き」ってこういうケースが多いようで、親は悩ましいです。



おばあさんたちの勧誘については、前提として私は非常に迷惑に思っていますし、入信するつもりも全くないのですが、、、


これ、入信しちゃう人いるよね?!って思うのです。


この宗教に入ったとして、どんな教義でどんな義務を負うのか、私はなんとなく知ってはいます。でも、実体験したわけではないし、身近にコレ系の宗教で苦労している方もいないのです。


今回は悪名高い某教なため最初から拒絶することができますが、一見宗教に見えないようなサークルや集まりだったらどうでしょう。


このおばあさんたちのように穏やかな表情でいられる場所かもしれない、みんなで支え合える場所かもしれない、とか思う人がいてもおかしくないだろうなぁ、と思うのです。

ましてや、次男のことを受け入れてくれて、「お母さん大変ね」なんて優しい言葉までかけてくれるのです。精神的に弱っているときには、ありがたいと思うかもしれません。っていうか、もし全く先入観がなくて、暇とお金があったら、断る理由ないかも!なんて思います。


おばあさんは言ってました。

「おたくのボクちゃん(次男のこと)よりもずっと重い障害を持ったお子さんがいるお母さんがいらっしゃったのだけど、親子で聖書の勉強をされたらね、お子さんのドヨーンとした目がどんどんキラキラしていって、今では障害なんてわからないくらいに立派に成長したのよ。今日もお母様と一緒に活動をされてるのよ」


さすがにね。そんな話には心動かされませんよ。でも信じやすい性格の人とかいるわけで、そうでなくても「子供が楽しんでいるから」なんて思って勉強会とかに通っちゃう人はいそうですよね。宗教じゃなくて聖書の勉強なのよ、とかボランティアなのよ、とか、言い方はいろいろです。


宗教以外にも、同じような手段で誘ってくるものはたくさんあるんですよね。一部の健康食品や一部の化粧品、一部のセミナーとかもそうです(全部に“一部”のをつけました笑)。人間が抱える弱い部分につけ込んで、焦らせ、希望を持たせ、お金を出させます。


でも、この「焦り」や「希望」こそが経済の基本なんですよね。言ってしまえば、美容院でトリートメントを勧められるのも、塾で特別講座を受講するのも、結局は同じ原理です。

ですから、自分が納得して、生活に無理のない範囲であれば、宗教活動は一般的な消費活動と変わらないのかもしれません。


しかし、サービスを勧める側が絶対にやっちゃいけないのが、弱みにつけ込む行為だと思ってます。境界線を引くのは難しいですが。判断力が不足している人や、鈍っている時を狙っちゃいけないですよ。障害児がいる家庭なんてまんまコレだと思います。優しい表情や声掛けに、簡単に近づいていってしまいます。次男なんて優しくしてもらうためなら親のことだって捨てますよ。それくらいの判断力の人だっているわけです。そういう人をとっかかりとして、踏み入っちゃいけないですよ。聖書の力で障害が治るなんて、次男の人生に責任がもてないのなら絶対言っちゃいけないはずです。



話は少し変わりますが、だいぶ前に読んだ本に

「日本では某学会の存在があったから、戦後の共産主義革命が起きなかった」と書いてあったのを思い出しました。

共産主義は、労働者という弱い立場の人の生活を向上させることを目指しますが、その役割をそっくり某学会が担ってしまったから、日本人は共産主義に傾倒しなかった、というようなことが書いてあったと思います。つまり、弱い人たちが団結して支え合う相互扶助の場として某学会が機能していたから、共産主義者は賛同者を集められずに革命に踏み切れなかったと。某学会のあの熱心な活動のおかげで日本の治安が維持されたかもしれないわけですね。 うちは違うんですけどね、興味深いです。

↑この本だったかなぁ?随分時間が経っているので中身は改訂されてそうです。中立的な立場で書かれた本なので安心して読めます。批判要素もあるので学会員の方は注意。


それを考えると、弱い立場の方々が集まる場に身を寄せてしまった方が、楽になれるのかもしれない、とも思います。うちがもっと貧乏で、行政が助けてくれなくて、となれば、近づいていってしまうでしょうね。そうやって集められてできた弱者団体がどういう存在になるのか、ちゃんと考えないといけないですよね、誘う方も誘われる方も。