(続き)

 

その一方で、人材不足はまさにサービスの質を低下させている。と感じることが結構あります。

 

これは全業界に共通していえることだと思いますが、特に福祉業界で顕著だなと思うのです。私が日頃サービスの提供を受け、よく接している業界だからこそ思うのかもしれませんが。

福祉の仕事は人々の生活に必要不可欠ですが、仕事内容や条件は厳しく、人材が集まりにくいというのはよくわかります。そもそも生産性を上げられる仕事ではないので、昇給や意欲の維持が難しいのも納得できます。

 

特に私が感じるのは放課後デイサービスですね。放課後デイサービスの事業所は本当にピンキリで、しっかりした福祉法人が運営しているところから、本当に大丈夫?という企業がやっているところまでさまざまです。

 

職員もいろいろで、有資格者が最低1名はいなきゃいけないとかルールはあるようですが、それ以外の職員はなんでもござれといった感じです。とても障害児への理解があるように見えない人や、障害児可愛い可愛い天使天使だけでやっている人、発言に明らかな問題がある人を結構な頻度で見かけ、そして大体すぐに辞めていき同じような新しい人が入ります。かなり年配のパートさんみたいな方がすごく多いですね。年齢や見た目で判断してはいけないのですが、これで支援計画を作成しました!と言われても…、うーん…と正直思ってしまいます。


障害児の大変なお世話を引き受けてくださっている以上、なにも文句はないのですが、やはりいろいろな面で厳しいんだろうなと感じます。少しハラハラする場面もあります。

 

公務員である養護(支援)学校の教員にも同じことを感じます。良い先生もたくさんいて、楽しく通わせてもらって感謝しているのですが、「この人…だから養護学校にいるんだな」という感じの先生も結構いて、一部の意識高い先生が中心となってなんとか回している印象を受けています。私の周りの教員仲間に聞くと、「楽したいから」という理由で養護学校転属を希望する先生はいないともいえないそうです。障害児教育に信念を捧げている人はとても少ないのが現状で、人手不足によってそれに拍車がかかっている気がします。


もちろん、それで十分なんですよ。うちの子なんかは笑顔で過ごさせていただけるだけで本当にありがたいんです。ただ、親とのやりとりが意味不明だったり、謎な連絡が来たり、とにかく「あれ?」ということが…いろいろあるんですね。

 

教員の話でいうと、非常勤講師をやっている私なんかもそうですよね。

保護者からしたらありえないと思いますもん。高い月謝払って私立にいれてるのに、私のように経験浅い講師がつくなんて。これらは人材不足の弊害と言って良いと思います。逆にいえば、人材不足のおかげで夢だった職業への道が拓けたということなんですが。

 

 

ただ、こういったことを総じて考えた時、これから先の世の中は暮らしやすくなる、といったら楽観的すぎますが、そこまで悪くはならないと思うんですよね。

人口が減少していくとマイナスなことは多いので、日本が終わりみたいなイメージを持ってる人は多いと思うんですね。でも、例えばの例えばですけど凶悪犯罪数は減っていたり、育休取得率は上がっていたり、良くなっている部分もたくさんあります。それぞれの要素が単独で達成しているのではなく、物事は全て繋がっているはずです。

 

人手不足でサービスの質が低下するということは残念な部分も多いですが、精神面においては、未来の日本は今より柔軟な社会になるんじゃないかと思います。


これまでの厳格で正当すぎる部分が整理されて、サービスを受ける側からしたらちょっとありえない対応も増えるけど、いろいろな部分が寛容になっていくのかな、と。それで過ごしやすくなる人も増えるんじゃないかと思います。なりたい職業や夢も叶いやすいかもしれません。これまでは大して重視されなかった技術や能力が、特別なものとして扱われるかもしれません。

 

一方で、消費者やサービスを受ける側の「物の価値を判断する力」はより高まっていくでしょう。世間にちょっと微妙なサービスや商品が増えれば、より良いものを判別し、選んでいく人が増えるのは当然だと思います。子供をわざわざ私立学校に入れようなんてのは、まさにそういうことなのかなと感じます。「先生様」「聖職者」と呼ばれた教員の化けの皮が剥がれ、学校という場所も「選ばれる」場所になったんですね。今に始まったことじゃないですけどね。

 

このように、人材不足によって質の悪いサービス・モノは増えていきますが、それはしっかりと選別・淘汰されていくと思うのです。人材不足や人口減少を嘆く前に、いろんなことに挑戦しやすく、成し遂げやすい現在の環境を楽しみ、「選ばれる」側になるために努力するのが、前向きな人材不足社会の生き方なのかなと思いました。

 

 

(終わり)