時に賞賛され、時に忌み嫌われる存在、「公文教室」

 

我が家のボンヤリ長男くんは、公文教室のおかげでなんとかなった人だと思います。ほんとやっててよかった公文式、、

 

公文メソッドは、とにかく繰り返して身につけていくことを重視します。

それこそ、内容は理解していなくても体が覚えるまでプリントをこなし続ける、つまり「バカでもある程度はなんとかなる」勉強方法なんだそうです。(と私は理解しました)

 

ボンヤリ長男くんのことをこれまでうすらバカのように書いてきましたが、彼はコツコツできるタイプです。余計なことも有益なことも考えず、とりあえず取り組むことができるので、あの膨大なプリントを無心にこなすことができるんだと思います。これは彼の長所であり、いつか化けるんじゃないかと期待するポイントでもあります。化けてくれ、頼む。

 

長男くんは国語がダメなので算数の文章問題は苦手ですが、計算は得意。正確だし、分数少数入り混じった複雑な計算も果敢に解いていきます。これは間違いなく公文のおかげですね。小学校の算数は計算ができれば落ちこぼれはしないので、自信につながっているようです。低学年で厳しめの担任だった時に算数だけ支援級通級も勧められたことを考えると、本当よかった、、涙。国語の読解も、短い文章で訓練してくれる公文のプリントのおかげで、内容はあんまり理解してないけど長文読解の法則のようなものを掴んでいるような気がします(多分)。一向にアルファベットを覚えないので英語もやらせたところ、とりあえず中一のスタートはなんとかなりそう。おバカな子には金がかかりますが、本当に公文には感謝しかありません。

 

でも中学になったらちょっと違いますよね。計算だけできればいい訳じゃないし、定期テストの対策をしないといけない。中学高校でも公文続ける子がいるらしいというのは聞いたことありますけど、ちょっと目的が異なるというか、学校の成績をなんとかしようとして続けるものじゃないと思います。長男くんには、ひとまず中学ライフに慣れてもらって、その後近所の高校受験用の学習塾に行ってもらえたら安心だと思っています。

「長男くん、中学になったら公文はやめようね?(反抗期小六少年を刺激しないように優しく、、)」と言うのですが、「え?なんで?」とピリッと反抗的空気になります(もうほんと嫌)。本人も公文のおかげで何とかなった自覚があるし、ここまで頑張ってきたので執着する気持ちはわかります。でもね、でもね、長男くん、、、と慎重に説得します。今でさえ3教科で毎回3時間以上かかっている長男くん。それだけ頑張れるのは凄いことよ、でもこれからはそんなに時間かけられないし、理科とか社会の勉強もしないといけないでしょ?と丁寧に説得していく作戦です。


(ちなみに、この春中受塾に移る長女ちゃんも一年生から公文に通ってます。)

 

ところで、公文にはあの大量のプリントをこなすと枚数に応じてポイントが支給され、年に数回のイベントでおもちゃ(なんか他愛もないやつ)と交換できるというシステムがあります。それが300枚400枚とプリントをこなすモチベーションになっているらしい。えーマジかよ。絶対やりたくないけどなぁ。


公文の門下生にとって、祭りの日に手持ちポイントが少ないのは屈辱らしく、兄妹ともにポイントを手にいれるためにプリントをやりまくっています。偉い、、偉いんですけどね。

進級もそれなりにしているようですが、進級よりもポイントが重要なようで、意味がわかりません。「そんなにやってるけど簡単なやつなんでしょ?」と言ったことがあるのですが(←最低)、そうでもないよ?とのこと(知らん)。


長女ちゃんもこのポイントの魔力に取り憑かれているので、公文をやめたがりません。二人とも出かけるときはポケットに公文のプリント1束と鉛筆一本をつっこんで、ファミレスでご飯が来る前の時間とかにドラえもんの秘密道具のようにパンパカパーン公文の宿題!と出してやりはじめます。狂ってますよね。修行僧のようです。ちょっと恥ずかしい。恐ろしいです、これが公文式。公文沼。ソルジャー養成所のようです。


ライバルの長女ちゃんが公文やめれば、長男くんもやめる雰囲気になってくれそうなんだけど。

よその家庭は結構すんなり公文やめてる雰囲気だけど、なぜうちはこんなに辞めるのに苦労しているのか。。