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2017-12-19 11:55:43

【新宿JAMの奇跡】

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【新宿JAMの奇跡】

 

 

昔、新宿JAMの辺りは暗かった。

ネオンの歌舞伎町を抜けJAM方向へ明治通りを歩くと急に街灯が

さみしくなり、横を走る車も新宿からの渋滞を抜けるのか、

いくらかスピードを上げてすっ飛んでいった。

目指す先にある歩道橋の隙間から赤い看板がついた病院が見え、

その手前が新宿JAMだった。

煤がかかった簡易ホテルの様なその病院は、まさか精神病院じゃなかった

と思うが、あのど派手な歓楽街を抜けてきたばかりで見ると、暗がりに

静かにたたずむその建物の中には、なんだか白衣の狂った医者や、

ぶ太い注射器を持った看護婦がいる感じがして薄気味悪かった。

だがあの“バックフロムザグレイブ”という企画は、そんな雰囲気も

後押しした新宿JAMでやったからこそ特殊な感じを持てた気がする。

 

 

自分のバンド、ギターウルフもある時から“バックフロムザグレイブ“の常連になっていくが、それを知るきっかけは20代の中頃に、三鷹の友人の家に遊びに行った事から始まる。

友人はその頃フィーバーと言うバンドをやっていて、そのバンドにぞっこんだったオレは、ライブの度に足を運んだ。しかし彼はそのバンドを辞めるという。

さらっと聞きながらも相当ショックを受け、続けて欲しい一心で時折説得の言葉を交えながら話した。だが彼はうわの空で、手元にはギターがあった。それを弾きながらオレと話しているのであるが、さっきから耳に聞こえてくるそのフレーズが妙だ。

彼はチャックベリーをはじめとするR&Rギターが得意のはずであるのに、サウンドがなんだかテケテケしてる。

「オレ今度こんな音楽やるんだ」

とあらためてスイッチを押したラジカセからの音は何とサーフミュージックであった。

一瞬驚きつつ思った、エッ、時代遅れ!

その頃はジミヘン、R&R、ストーンズ、ブルース、パンク、ロカビリー、ハードロックが流行っていて、なぜにサーフィン!?今さらベンチャーズ!?

ところがギッチョン、時代遅れはオレだった!

サーフミュージックがあんなにワイルドなサウンドだったとは!

後にさすがと思わせてくれた彼の名前は、そう、オレがギターの師匠と呼ぶエノッキーサンダーボルト!まさにジャッキー&ザセドリックス誕生前夜の出来事だった。

数日後、彼から電話がある。

「今度新宿JAMで、クランプス好きの人の企画にでるんだ」

それが“バックフロムザグレイブ”だった。

 

 

誘われたその日オレは開演に遅れた。

辺りはすっかり暗く、赤い看板を斜め頭上に感じながら、地下ホールへの

狭い階段をブーツでコツンコツン降りて行くと、それ以前のJAMには

なかった雰囲気が身体にゾワゾワまとわりつきだした。

すると!ホール手前の通路にTシャツが売られている。

エ―――!目が血走った、何とリンクレイのTシャツ!

オレしか知らないはずのリンクレイがここでは有名なのか!?

焦り80感激20の気持ちで思わず手に取るが我に返り、

すでに音が鳴る扉の中に入った。

 

 

あの夜、セドリックスに導かれて開けた扉の向こうの“バックフロムザグレイブ”との出会いがその後のギターウルフを決定した。

あの場にいたセドリックス、5678s、テキサコレザーマン、そしてその後出会う事になる殆どのバンドが刺激的だった。

だれもメジャーなんて眼中になかったし、なれるとも思っていない。

その代わりそこにはいつもロックの実験室の匂いがしていた。

毎回、自分達だけが捜してきたカバーを演奏する事に快感を感じ、

そして、突拍子もないアイディアを客に浴びせる。

お互いに仲はよかったが、ライバル心はもちろんあり、だけどそれぞれの個性が際立ち、且つ別な方向を見ていたせいか、似たようなバンドは皆無だった。

そしてだんだん熱を帯び、声高にこんな事まで言い出していた。

70年代のCBGBのシーン。

ハートブレイカーズ、ラモーンズ、テレビジョンのNYパンクが誕生していったあの時もこうだったに違いない!

今となっては果たしてどうだったかわからない。

だがあの瞬間、そんな夢を見られたあの新宿JAMの“バックフロムザグレイブ”にいられた事は、自分にとってひとつの奇跡だった。

新宿JAMに乾杯!

 

PS:今年いっぱいで閉店の新宿JAM。

いてもたってもいられずギターウルフは12/22(金)の夜に急遽出演します。

 

 

 

2017-12-08 18:29:43

【カメラマン三島タカユキ】

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【カメラマン三島タカユキ】

 

 

 

都内で撮影が終わり、路駐のバイクにキーを差し込みエンジンをかけ、

少し暖めまたがった。

前の道路に乗り入れすぐの赤信号で停まったら、さっきまで自分たちを

撮影してくれていたカメラマンの三島君が信号待ちしている背中が見えた。

オレはバイク、彼は徒歩、その日はポカポカ陽気で、青空の下ビルに

囲まれた交差点を車が次々と抜けていく。

やがて信号が青に変わりバイクを発車させると当然三島君も歩き出すと

思ったら彼は立ったまま動かない。

「何やってんだ?」とバイクをゆっくり右折させながら振り返ると、

彼は胸ポケットに入れてある小型のカメラを取り出し、

目の前の空をパシャリと撮った。

その時つくづく思った「この人、よっぽど写真が好きなんだ」

 

 

ギターウルフはずっと三島君に撮ってもらっている。

まあこの辺でいいんじゃないのと自分が切り出さない限り、

彼はずっと撮る。

決して自分から見切りをつけようとしない。

いつもシャッターを押すフレームの向こうにある何かをとらえたい

衝動に駆られていた。

彼を見るといつも思っていた。

技術より愛だなと。

 

 

日本はもとより海外にもしょっちゅう付き添ってくれ、

いつも柔和なほほえみを持ち、彼がいるとホっとした。

ツアー特有の緊張感も彼がいるとなごみ、ひょうひょうとした

春風のような人だった。

あまり感情を激しく出す方ではなかったが、

一度アルゼンチンからブラジルに行く飛行機に乗るブエノスアイレス空港で

チケットのトラブルがあった。乗れないという。

言語はスペイン語、英語、日本語ですったもんだを繰り返し、

ついには次のお客があるからとカウンターを追い返されたりしたが、

ここで引き下がるわけにはいかないとごねにごねたら、

なぜか飛行機が立つ直前にチケットが降りた。

その瞬間目の前の三島君が「やった-!」と手をあげて子供みたいに飛び跳ねた

からそれがおかしく、オレは大爆笑をした。

後々その話題に触れる度に、「飛び跳ねたりしてませんよ」と恥ずかしそうに

はにかむ笑顔がまたおもしろかった。

 

 

三島君の写真展には何回か行かせてもらった。

自分たちの写真、他のアーティストの写真と共に、彼の写真展にはなんだろうこ

れ?という写真がたくさんある。

ただのドアノブや、道の溝、壁のひび、何でこんなもんをと一瞬思うが、

どれも彼の写真の中で不思議な魅力を持って収まっていた。

ある時、その中であれ!?と思う写真に出会う。

白黒加工されている空の風景、何の変哲もないビルの上にある空、

雲の色合いがなんとなくおもしろい、ひょっとしてあの時の空じゃないだろうか?

聞いてみようと思ったが、とうとう聞きそびれてしまった。

ただ、彼はいつも彼にだけ見える何かを切り取ろうとしていた。

あの時、あの交差点でオレは三島君がカメラを向けていた方向を

すかさず振り返ったが、正直、おもしろくもおかしくもない空をよく撮るわと、

少し吹き出すような気持ちがあったが、彼にはあの空に何かを見たのだろう。

今となってやっとわかった。

人が見逃すような日常の何でもない物に、魅力を感じることができる人は

心が豊かで、幸せだ。あの春風のような雰囲気もそこから生まれていたのだ。

よく一緒にツアー車に乗っているとき外の景色をぼーっと見ている

三島君の表情を思いだす。あの目には、きっとアッアッと彼の好奇心を

くすぐる景色が次から次へと飛んでいたに違いない。

 

 

「まあカメラという機械なので誰が押しても同じです。」

そんな事を彼は言ったことがある。

ちょっと耳を疑ったが、考えるとギターを持つオレにも似た気持ちはある。

技術は相当大事だが、それを伝家の宝刀のようにかざす専門家をオレは憎む。

それとは別の、気合いとか愛とか迫力、ひらめき、挑戦する気持ちのような

技術を超えた何かがないと、夢を実現できない事をオレは知っている。

自分はロマンティストだと思う、だが彼も相当なロマンティストなカメラマンだった。

カメラマンは、その人が持つ一瞬のひらめきとカンで空気を読み取る

瞬間の芸術家だ。

特に三島君は人と物が放つ暖かさ、ぬくもり、または熱をとらえるのがうまかっ

た。そしてここがロマンティストならではだと思うのだが、物だろうと人だろうと、

それが持つ生き様の漂う哀愁までをもとらえていたのが、

凄腕カメラマン三島タカユキの真骨頂だった。

 

 

人は何の為に生きるのか?

わからない、ただ前進するエネルギーがあるのみだ。

そのエネルギーで写真をひたすら追い求めた彼はひたすらかっこよかった。

 

三島タカユキ 享年51歳

 

PS:いつもギターウルフの側にいてくれた三島君、本当にありがとう。

オレ達は幸せでした。

 

 

 

 

 

2017-07-13 16:39:57

【七夕マリア】

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【七夕マリア】

 

 

長崎は土地柄で教会が多い。

自分は市内の生まれだが、3歳の時に隣の諫早に引っ越した。

諫早には長崎ほど教会はないように思う、と言うか自分は一つしか知らない。諫早駅から川向こうを眺めるとみどりに覆われた急な高台があり、そこにひっそり十字架を見せる白い教会が建っている。

 

3歳で越してきた時、その教会に隣接するカトリックの幼稚園に入れられた。両親は山口県出身で、キリスト教とは全く関係ない浄土真宗であり、後に何度も出席するお葬式もすべて南無阿弥陀仏であったが、幼稚園のその一時期だけキリスト教的雰囲気の中で自分は育った。

 

幼稚園の門の上には、マリア像があった。

まるで走ってくる子供を迎え入れるように、両手を下に広げた白い石膏のその像は、ぱっと見、目がはっきり確認できないが、まなざしをこちらに向け、優しく微笑んでいた。

だが雨の日などふと見上げると、微笑みながら大粒の涙を流しているようで、少しドキッとしたことがあった。

 

園内に入ると、神に仕えるシスター達が数人いた。

その中でも一際やさしい笑顔を持ったおばあさんが園長先生だった。

普段の園内は、他の幼稚園とさして変わらなかったと思う。

ただ違うのは、年に数回、隣の教会でお話があることだった。

そこでされた話の内容はほとんど憶えていないが、ある日の話の後、

「これから皆さんにマリア様がイエスキリストをお産みになった馬小屋を見せてあげます」と言われ、それをみんなで見た事はよく憶えている。

子供達は祭壇に向かって、それぞれの席から真ん中の通路に向かって、ちょうど葉っぱの模様が真ん中の茎に向かっていくようにゆっくり合流していきながら、自分の順番を待った。その日は曇っていて、子供達は教会に入る時から浮かない気分だったが、でもだんだんわずかな期待感が厳かな気分と相交わりながら、ひとりひとり神妙な顔で列を進んでいった。

いよいよ自分の番がきた。

歩きながら、ややのぞき込むようにしたが、ジロジロ見ることができる雰囲気ではなく、祭壇に飾られたその小さな馬小屋の様子をわずか数秒見ることができた。

あったのは、ただの瀬戸物の人形だった。

なんだか拍子抜けだった。

シスター達の口吻から、何か飛び出る映像でもあるような気がしていたので、列を折り返すと全く興味は失せ、何の感想も持たず列の一人として教会を出た。

でもその後、なぜか度々思い出す。

あそこに飾ってあったマリアは、わらの布団に上半身を起こした姿で赤ん坊と抱く普通のお母さんだった。その笑顔も門の上のマリアとは少し違っているような気がした。

 

十字架のキリストと馬小屋のマリア。

なぜキリストは神様なのに十字架に杭でうたれているだろう。

ほんの少し首をひねるが、それ以上知ろうとは思わない。

杭で手と足をうたれるなんて痛そうだ。

知りすぎると、その痛みが少しだけこっちに来そうな気がした。

だがマリアは違う、馬小屋にいても美しく輝いている。

マリアは暖かく、キリストは寒い。

希望と絶望が同じ場所に!?

ひょっとすると幼児の自分は、無意識にそんな風に感じていたのではないだろうか。

今となってはわからない、でもあの頃、自分にとって教会は、ただシスター達に連れて行かれた場所ではあったが、普段の生活の中で唯一、別世界に連れて行かれた場所でもあった。

 

ある朝、雨が降っていた。

子供達の黄色い合羽が三々五々門をくぐっていく。

外履きを脱ぐ場所に行くと、天井から笹竹が自分達に被さるように垂れ下がっていて、たくさんの短冊が目の前にぶら下がっている、何だと思うとその日は七夕であった。

それぞれの願いが書いてあるその短冊には自分の短冊もあり、そう言えば昨日書かされたのはここに吊される為だったのかと思った。

話も聞かされている。

織姫と彦星が会う一年に一回の七夕の日、しかし雨の日は無情に二人の逢瀬を阻み、その降っている雨は織姫の涙でもあるという。

その時、ポツン、ポツン、笹をはじいて自分の顔に雨のしぶきがかかった。ふと門の上のマリア像を思い出した。

これはマリア様の涙かもしれない。

十字架に架けられたキリストへの悲しみの涙、すべての人に微笑みを与えながらも、雨の日だけ泣くことができる彼女の涙かもしれない。

この幼稚園にいて天上の女の人と言えばマリアであり、初めて聞く織姫という人は頭によぎりにくかった。

園内に上がると優しく笑みを携えたシスターが待っていて、脱いだ合羽をワイヤーに干すのを手伝ってくれる。その間に上履きに履き替え、自分のクラスに向かった。屋根ギリギリから少し斜めに吹き込む雨に片っ方の手を伸ばし、手のひらで雨を受けながら歩いた。

 

幼稚園を卒園してキリスト教とは全く縁遠くなったが、人間に地層があるとすれば、あの初期の一時期だけ、神聖な教会の白い地層が一筋、自分の中にある気がする。

 

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