●その涙が、作品をうみだす衝動に昇華するから
ギターならではの、ボディやネック、弦から伝わる愛しい響きが欲しければ、弾きたいだけ弾けばいい。
作品やパフォーマンスのクオリティを問うならば、人にまかせるのも「選択」だ。
(中略)
親友・めぐみのおとちゃんのブログ、リブログします。
彼女はわたしの親友で、
2年前の今頃出会ってすぐ、心が開かれた。
彼女になら、言えたことがたくさんある。
だからこそ、彼女が書いてたことに
思わず反応してしまう。
「歌(声)はいいんだけど、ギターがね...。」
何をかくそう、このわたしも、
ずっと言われてきました。
多分、今でも言われてます。
しかも、
歌も大したことないね、
ギタリストって言ってるんだから、
看板どおり、期待どおり、
ギターもうちょっとまともに弾けるようになったら?
とまで、面と向かって言われたりもしてます(マジで)w
はっきりいって、ショックです。
泣いてばかりです。
ギタリストとして教育受け続けてきたわたしにとり、
20代半ば、つくったデモ・テープを聴いた人たちから
「声いいね、歌でやって」
とばかり言われるたび、
「へ?!ギ、ギターはどうなの?」
ギターについては話題にすらあがらず、
それはそれは大ショックでした。
プロミュージシャン科卒業して、
ギター留学して、
それでも、ギターは全然大したことなくてw
歌いなよ、と言われるままに、
商業音楽の現場で息づかいまで
ディレクションされながら歌ってた。
何かが違うと思いながら...。
めぐちゃんのブログみて、
泣いてる時間があったらFを押さえろ?
これ、わたし、憤慨しました。
Fなんか、押さえなくたって、
音楽成り立つから。
まあ、それは比喩であり、
激励の言葉なんだろうけど、
めぐちゃんがそこで言いたかったことと
その人からのその言葉、噛み合わない。
どうも、食い違ってる気がしてならない。
行間を読み、
めぐちゃんが普段口にする
色々なことを考えあわせたら、
めぐちゃんは、ギター好きなときに
好きなだけ弾いたらいいと思う。
弾きながらの方が歌いやすければ、
弾き語りすればいいし、
ギター手放した方が声だしやすければ、
誰か他の人にやってもらえばいいと思う。
ギターならではの、ボディやネック、弦から伝わる愛しい響きが欲しければ、弾きたいだけ弾けばいい。
ギターが難しい曲では、普段は自分で弾いて、ここぞ、という場では誰かに弾いてもらう、という選択だってある。
それは、負けではない。
泣いてる時間あって、いいと思う。
その涙が、作品をうみだす衝動に昇華するから。
わたしは、今でもギターの夢があって、
練習といえばそういうことだけど、
悔し泣きしながらギター弾き続けてきたことが
今の仕事:ミュージックライフ・スタイリングを
生み出した。
わたしが超絶ギターうまくて、
誰にも文句言わせないほどの
ギターの名手だったら、
きっと、そんな発想すら生まれなかっただろう。
かといって、ギターと全くの無縁だったら
ずっとやりたかった音楽の夢を持つ同志との
心の接点がつくれなかっただろう。
そんなわたしが言うからこそ、
伝わるものがある。
めぐちゃんも、きっと同じで、
そんなめぐちゃんだからこそ、
伝わるものがあるんだよ。
かなり努力してるつもりでも
どうにもこうにもうまくならなくて、
何を目指してるかすら、おぼろげで、
悔しくて、切なくて、
泣いてる時間あったら、何かひとつでも
手を動かして、努力しろ
そんなこと、わかってる。
わかってるよ...。
言いたいのは、そんなことじゃないんだよ。
音楽との、歌との、ギターとの、楽器との
つきあい方、そのスタンス、距離感、関係性。
これを試行錯誤して見極めていくと、
じぶんなりのありかたがみつかるよ✨
敬愛をこめて。