ビートルズのプロデューサー、サー・ジョージ・マーティンが亡くなりました。
享年90。
スポニチアネックスの記事を引用します。
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「ザ・ビートルズ」の作品をほぼプロデュースしたことから「5人目のビートルズ」と呼ばれた英音楽プロデューサーのジョージ・マーティンさんが亡くなった。
90歳。
9日、海外メディアが報じた。
ビートルズのドラマー、リンゴ・スター(75)はツイッターで「ジョージ・マーティンに神のご加護を。あなたの愛に感謝します」などと追悼。
故ジョン・レノンとオノ・ヨーコ(83)の息子、ショーン・レノン(40)もツイッターで「言葉がありません。安らかに眠ってください」などと追悼メッセージを送った。
マーティンさんは1962年、ビートルズを見いだし、96年、音楽界への貢献からナイトの称号を贈られた。
96年、ビートルズのトリビュート盤「イン・マイ・ライフ」をプロデュースし、発表した。
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正直、目がうるっときました。
最近はことあるごとに、いつまでもお元気でいてほしい、と思っていました。
90歳、大往生ではあるけれど、やはりお別れは寂しいですね。
ビートルズのことは折に触れて話してきているので、歴史のifの話を、今回だけはお許しください。
もしビートルズのプロデューサーがジョージ・マーティンではなければ、
ビートルズはRUBBER SOULの前にダメになっていたかもしれない。
バンドはだめにならなくても、やっぱり、
RUBBER SOULはあのようには作られなかったかもしれない。
RUBBER SOULが出なければ、ブライアン・ウィルソンが
影響を受けてPET SOUNDSを作ることもなかったかもしれない。
RUBBER SOULとPET SOUNDSがなければ、
ロックンロールは依然としてダンス音楽のままだったかもしれない。
ロックンロールがダンス音楽でしかないものであるならば、
音楽を聴くことを趣味とする人がもっと少なかったかもしれない。
そうであれば、ロックをはじめとしたポピュラー音楽が(邦楽含む)、
教科書に取り上げられるなどということもなかったかもしれない。
もちろん、ビートルズやジョージ・マーティンがいなくても、他の誰かが代わりに成し遂げていた可能性はありますが、そういう話をしたくなるほどの大きな存在だったのではないかと。
それ以前にビートルズは、Deccaのオーディションに落ち、EMIに拾われた。
もしDeccaに合格していれば、ジョージ・マーティンと一緒に仕事することもなかった。
さらにいえば、リヴァプールという小さな町で、偶然にも2人の才能ある若者が近所に住んでいた。
その町には彼らの才能に惚れ込んだ商才に長けた男、ブライアン・エプスタインもいた。
ビートルズのことを考えると、偶然の素晴らしさを思います。
突き詰めてゆけば、人間が、生き物が生きているのも偶然につぐ偶然が重なった「だけ」のことだから。
ジョージ・マーティンがいなかったら僕だっていないかもしれない。
それくらい大きな人であることを言いたかったのでした。
などと、音楽とは大きく離れてしまいましたが、ビートルズがなぜ広く親しまれ愛されるようになったのか。
ジョージ・マーティンはおそらくビートルズにこう言ったのではないか。
「お前たち、黒人の真似はするな」
R&B、ブルーズ、ソウルなどを好きになるのは構わない。
でも、それを自分なりのものに昇華してゆきなさい。
もうひとつ、ジョージ・マーティンは、ビートルズの前はクラシックの録音に携わっていて、楽譜も書ける人でしたが、若者のあやふやな音楽のイメージを確かな音として提示することができた、これが大きいのでしょうね。
ビートルズに関する逸話を2つほど。
Yesterdayをポールが最初にスタジオで聞かせた時、ジョージ・マーティンはこう言ったそうです。
「この美しい歌にドラムもベースも要らない」
ポールのギターとストリングスだけのアレンジになりました。
She's Leaving Homeを最初に聴いたジョージ・マーティンは、涙が止まらなかったという。
◇
さて、話だけで終わるのはジョージ・マーティンにも申し訳ない。
プロデュースした作品で有名な曲を幾つか、ビートルズ以外で。
写真の6枚組CDボックス
PRODUCED BY GEORGE MARTIN 50 YEARS IN RECORDING
に収録されている曲を中心に紹介します。
☆
Goldfinger
Shirley Bassy
(1964)
「007ゴールドフィンガー」のテーマ曲としてあまりにも有名。
特にシャーリー・バッシーの歌い方、インパクトという点で007のテーマ曲として最高でしょうね。
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From Russia With Love
Matt Monroe
(1963)
「007ロシアより愛をこめて」のテーマ曲、マット・モンロー。
こちらは王道エンターテインメント。
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Live And Let Die
Paul McCartney & Wings
(1973)
やっぱりこれは入れないと(笑)。
「007死ぬのは奴らだ」、ポール・マッカートニー&ウィングス。
この曲はビートルズ解散後初めてポールとマーティンが組んだとして当時話題になりました。
そしてポールはこの曲を歌い続けています。
☆
How Do You Do It
Gerry & The Pacemakers
(1963)
ジェリー&ザ・ペースメイカーズのこの曲は元々、ジョージ・マーティンがビートルズの2枚目のシングルとして用意し録音までしたものの、やはりオリジナル曲で勝負したいというビートルズの意気込みに負けてお蔵入り。
それを歌ったジェリー&ザ・ペースメイカーズは全英No.1に。
☆
Do You Want To Know A Secret
Billy J Kramer with The Dakotas
(1963)
これは逆にビートルズのオリジナルをビリー・J・クレイマーwithザ・ダコタズが歌ってヒットさせたもの。
☆
Marrakesh Express
Stan Getz
(1969)
スタン・ゲッツのこれもボックスセットに入ってました。
ええ、つまり、聴いたけど覚えていなかった・・・
1969年のアルバムだから、CS&Nのオリジナルが出てすぐに出したわけですね。
今度このCD買って聴いてみよう。
☆
She's A Woman
Jeff Beck
(1975)
ジェフ・ベックのこれはジョージ・マーティンの仕事として有名な1枚。
箱には別の曲が入っているのですが、ここはやっぱりですね、ビートルズ絡みということでこれにしました。
☆
Sister Golden Hair
America
(1975)
アメリカ2曲目のNo.1ヒット曲も手掛けていました。
これは確かアメリカが望んだものだったと記憶しています。
☆
The Highwayman
Jimmy Webb
(1977)
ジミー・ウェッブの僕が唯一持っているアルバムもジョージ・マーティンのプロデュースなのでした。
このアルバムEL MIRAGEはかなり気に入っています。
☆
Get Back
Billy Preston
(1978)
ビー・ジーズとピーター・フランプトンが主役の映画「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のサントラから、おなじみビリー・プレストンのおなじみの曲。
☆
Mystery Train
UFO
(1980)
英国ハードロックバンドのUFOもプロデュースしています。
R&Bのクラシックとしてニール・ヤングのカヴァーでも知られた曲。
☆
Ebony & Ivory
Paul McCartney with Stevie Wonder
(1982)
ポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダー。
やはりこれを入れさせてください。
僕がリアルタイムで初めて聴いたビートルズのメンバーの新曲。
ジョン・レノンの死を受け、ポールがジョージ・マーティンと再び手を組んだとして当時話題になり、僕も期待しました。
今でもリアルタイムでいちばん好きなポールのアルバムです。
☆
In My Life
Sean Connery
(1998)
最後はショーン・コネリーの語り。
ちなみに、歌詞の字幕には"Some are dead and some are living"と出てきますが、".. leaving"です。
でも、今日は特にそのくだりに心が止まってしまいますね。
◇
ジョージ・マーティンは札幌にも来たんですよね。
「芸術の森」が開基となった時。
僕は東京にいたので、弟から情報を聞いただけですが、札幌にいれば近くに行きたかったと、今でも思っています。
ジョージ・マーティンはクラシックの録音に携わっていた。
僕は、それがどれかを調べてCDを買おうと思っていましたが、間に合わなかった、でもこれから聴いてみます。
音楽を通して生きる楽しさを教えてくれた人
サー・ジョージ・マーティン
安らかにお眠りください