WINGS AT THE SPEED OF SOUND
ウィングス・アット・ザ・スピード・オヴ・サウンド
(Paul McCartney &) Wings
(ポール・マッカートニー&)ウィングス
released in 1976
CD-0474 2015/6/18
6月18日はサー・ジェイムス・ポール・マッカートニーの誕生日
1942年生まれ、今年で73歳
ポールおめでとう!
毎年この日はポールの記事を上げています。
もちろん今年も。
今年はこのアルバムです。
昨年、リマスター盤が出たものの、記事はまだでした。
さて、いきなり、このアルバムを一言で語ります。
「才能と勢いだけで作ってしまったアルバム」
これですね、リアルタイムで接した人と、僕のような後追いの人でこれほどまでに評価が違うものなのか、というアルバム。
僕の知り合いでも初めて買ったLPで思い入れが深いという人もいます。
一方、悲しいかな、後追いでしかも「アルバム至上主義」だった僕は、本などで得た情報から、ある種の「嗅覚」が働いたこともあり、高校時代にLPを買うことはありませんでした。
Silly Love Songsの国内ドーナツ盤は高校時代に買ったのですが。
このアルバムは、「緩い」「散漫」だという評が多いようですね。
当時のポールは超多忙で声が荒れている、とも。
そして10代の僕にとって大きかったのが、ポールが約半分の曲でしか歌っておらず、残りはメンバーが歌っている、というところ。
ネットで知り合ったある人は、確かに当時は大好きだったけれど、今となってはアルバムとしてはどうなんだろう、とも話していて、この方はリアルタイムでありながらそうであるのが興味深い。
僕がこのアルバムを初めて聴いたのは、最初のCDが出た時。
今でも覚えている、大学の帰りに新宿アルタのCD店CISCOに寄ったところ、このCDが出ていたので買い帰宅後すぐに聴きました。
聴いてみると、まったく予想通り。
緩い。
時間をかけて作れば、素材はいいのでもっと映える曲になったはず。
その後、リイシュー盤を買い直したりしましたが、聴き込むこともなく、漸く、昨年のリマスター盤で愛聴盤といえるまでになりました。
だから今は好きですよ、念のため。
「アルバム至上主義」の僕は、若い頃はこの緩さが、ちょっと、でした。
なぜこれが売れたの? と、リアルタイムではないので逆に思いました。
時代の勢いであって、後からでは分からない部分があったのでしょう。
また、ロックが「作品」として評価されるものではないという概念がまだ当時は多くて、名曲が入っていて売れればいいアルバムということだったのかもしれない。
これが緩いと感じるもうひとつの大きな要因。
前作VENUS AND MARSが、ビートルズを再現したかのようなかっちりと作り上げた作品だっただけに、直後のこのアルバムでは、その差が分かりやすかった、ということもあるのでしょう。
ただ、逆に、それほど多忙でもいい曲がこれだけ揃っているし、アレンジも凝っていなくても十二分に聴くに値するというのは、ポール・マッカートニーだからこそ成し得たことなのでしょうね。
ポールの人気と実力と勢いを見せつけたアルバム、といえるでしょう。
だから、凝っていないとはいいつつ、ポールらしくはあります。
もうひとつ、不思議な部分。
なぜかマイナー調のほの暗い曲が多いんですよね。
シングルの2曲(①と⑥)は普通にポールらしい明るい曲だけど、でもだから、アルバムを聴くとギャップが激しいというか。
しかもその2曲はLPのA面B面それぞれの1曲目でもあるし。
ポールにだってほの暗い名曲佳曲はたくさんあるけれど、ひとつのアルバムにこれだけ集まるのは珍しい。
絶頂期なのにほの暗いとは。
ポールは、絶頂期がずっと続くわけではないと、不安すら感じ始めていたのかもしれない。
平静を装うとするとかえって暗くなってしまう・・・
しかも、WINGS AT THE SPEED OF SOUND=「音速の翼」というタイトルとはまるで似つかわしくない雰囲気。
そう、僕はこのタイトルも、昔から引っかかる部分です。
直接的には、アメリカ大ツアーで飛行機での移動が多くなり、飛行機で移動するということを表しているのだと思うけれど。
ちなみにこの次のライヴ盤WINGS OVER AMERICAのアートワークは飛行機の機体をヒプノシスがデザインしたものだから、「音速の」というのは当時のポールの正直な感覚なのかなあ、と。
大いに売れたアルバムであり、超スーパースターでありながら、やっぱり内面が濃く出る、だからポールは好きなんですね。
それと、やっぱりこのアルバムにはポールの遊び心が満ちている。
いろんなことを感じて考えて欲しい、惑わせたい、という思惑はいくら忙しくても忘れない、それがポールなのでしょうね。
今回は緩くやってみたかったのかもしれない。
まあ、別の見方をすれば、あくせく働いても人間緩さも必要さ、とポールは訴えたかったのかもしれないですが。
録音はかのアビィ・ロード・スタジオで行われました。
プロデュースはポール本人が担当しています。
なお、楽曲のクレジットは、明記するもの以外はポール&リンダ・マッカートニー名義となっています。
そしてヴォーカルの名前がない曲はポールが歌っています。
◇
1曲目 Let'em In
このアルバムを昨年あらためて聴いて気づいたことをもうひとつ。
なぜか、ニューオーリンズの香りがほのかに漂ってくる。
この曲のみならず、アルバム全体に。
特にこれ、ポールの曲を大勢のアーティストがカヴァーしたにおいて、ドクター・ジョンがカヴァーしたのを聴いて、僕の頭の中で何かがつながりました。
直接的にこの曲は、間奏のマーチングドラムがニューオーリンズのセカンドラインを想起させる、という単純なものかもしれない。
しかし、ポールだってそもそもアメリカ音楽への憧れが自身の音楽の源になっており、アメリカのツアーを成功させてアメリカへの思いがより強くなったことで、源を再発見したのではないかと。
この曲はシングルとしてTop10入りする大ヒットとなりましたが、でも「音速」というアルバムの冒頭にしてはゆったりしていて、もう最初からポールはスカしにかかっているんだな、と。
サビで歌われる"Brother John"はジョン・レノン、"Phil & Don"はポールの憧れの人エヴァリー・ブラザースのことと言われています。
そして"Martin Luther"は言わずもがな。
この部分に入るブラスがいいですね。
この曲は、1990年の来日公演で演奏したのですが、その時まで僕はポールにとって大事な曲だとは思っていなかった、その驚きがあって、逆にこの曲はその時に大好きになりました。
今年の来日公演でも、開演前に場内に流れていたのはもはやいい思い出となっています。
と、短く書こうとしたのですが、結構長くなりましたね。
いずれまた、この曲だけの記事を上げたいと思いました、いずれ。
この曲は「誰でもいらっしゃい」というポールの心意気、当時の余裕を感じさせるタイトルでもありますね。
まあ、もともとポールはそういう人なのですが。
2曲目 The Note You Never Wrote - Vocal Denny
1曲目は明るいけれど、2曲目からもうほの暗くなってきました。
デニー・レインはかつてムーディー・ブルーズでヴォーカを務めていて、そのアルバムを数年前に買って聴いてとても気に入りましたが、でも、その声をずっと聴いているのは少々つらい、という声でした。
僕の耳には、心には、感情がこもり過ぎていると感じたのです。
だから、ポールのアルバムで1、2曲歌うのはかえって好きだし、彼の声質はこの曲の雰囲気には合っていて、これはいい。
3曲目 She's My Baby
エレピを中心とした軽やかな、でもどこか寂し気な曲。
一応、キィはメジャーなんだけど。
彼女は僕のものだ、というのに、なぜ嬉しさ全開ではない?
まあ、控えめであることも大切だと言いたいのかな。
最後の方で"moppin' it up"と繰り返すのが耳について離れない。
この耳につくというのは、ポールには珍しく、よくない意味も含んでのことで、面白いといえば面白いのだけど。
"mopping"という言葉がロックの歌詞にはあまり出てこない、というのが「耳につく」ことの真相かもしれない。
これはリズム感が南部っぽい、かな。
ポールは曲を「そつなくまとめる」ことが得意だけど、時々、 そんな自分を嘲うかのような「そつのある」曲を書くことがある。
これもそんな1曲ですね。
余談ですが、「そつがない」の「そつ」って何だろうと「新明解国語辞典」第7版で調べると、こうありました。
そつ【語源未詳】何かをする時に起こりがちな、不注意な点や、むだな点。
僕は「そつがない」でひとつの慣用句だと思っていたのですが、「そつ」だけでも使え、だから「そつがある」は誤用ではないようですね。
4曲目 Beware My Love
ハードロックっぽい曲で、70年代らしさを感じる。
この曲なんてしっかり作れば名曲級になっていたはず。
しかもこれ、ボーナス音源としてジョン・ポール・ジョーンズがベースを担当したヴァージョンが入っていて、やっぱりか、と。
ちなみにジョンジーとの公式の共演はこの2作後、1979年のBACK TO THE EGGで実現するわけですが、したたかなポール、もうこの辺りから種を蒔いていたわけですね。
このデモヴァージョンは、Zepファンとしても狂喜乱舞ものでした。
この曲をもう少しどうにか、と考えると、歌メロですかね。
ポールにしては珍しく歌メロが崩れている。
でもだから、エモーショナルな部分が出ていいのかもしれない。
ポールの声が荒れているのも、迫力と切なさにつながりやすいし。
エモーショナルなポールはみんなが求めたものではないかもしれない。
ポールはすかしたことを平気でする人だし、僕にはこういう面もあるんだよと、さらりと言ってのけあだけなのかもしれない。
まあでも、昨年のリマスター盤からこれは大好きになりました。
5曲目 Wino Junko - Vocal Jimmy
ジミー・マカロックがバンド以外の人コリン・アレンと共作した曲。
コリン・アレンは英国のブルーズドラマーということで、ジョン・メイオールやボブ・ディラン、ロッド・スチュワートなどのバックを務めた人とのことです。
ジミーのヴォーカルは正直、声の線が細い。
でも逆に、こういう不安気な響きの曲だからいいのかも。
その辺の歌に対するポールのセンスはさすが。
ところで、これ、「困った邦題大賞」をあげたい。
日本のLPでは「ワイノー・ジュンコ」になっている。
桜田淳子じゃあるまいし、でもこれは狙ったのかな。
でも、桜田淳子には「私の青い鳥」があり、ポールもBluebirdがある、その偶然が面白かった東芝EMIの人が邦題をつけたのかな、なんて。
ちなみに"wino"は「酒に酔いつぶれること」、"junko"は辞書に載っておらず、Yahoo!辞書でも出てこなかったのですが、"junk"が「クズ」で、そういうことだと考えられます。
で、「ワイノー・ジャンコ」って言葉の響き、なんとなくニューオーリンズっぽくありません???
ポール以上にジミーがそういう趣向だったのかもしれないですね。
6曲目 Silly Love Songs
この曲の1番の歌詞を書き出します(翻訳引用者による)。
君たちは人々がばかけたラヴソングにうんざりしているというんだね
でも、僕はそうは思わない、思い当たる節がないなあ
誰かがばかげたラヴソングで世の中いっぱいにしたいんだってね
そのどこが悪いんだい?
教えて
だってさ、僕はまだまだこう言いたいんだから
I LOVE YOU
当時のポールは、再び売れ始めたところでメディアに叩かれ、「甘ったるいラヴソングしか書けない」と言われた。
それに対してポールは「ラヴソングの何が悪いんだ!?」と開き直った、というのがこの曲。
引用した部分、ポールは「愛の英雄」とでもいいましょうか。
高校時代にドーナツ盤の歌詞カードを読んで(対訳ではなく)この歌詞の素晴らしさにしびれました。
でも実際、大衆はラヴソングを求めていたわけで、計5週間No.1、年間チャートNo.1という数字がそれを示している。
そういう事情だから、この歌は、サビの"I love you"を、皮肉を込めつつ力いっぱい歌うのが正しい歌い方です(笑)。
また別の視点、引用した部分は「世界にまだまだ愛が足りない」とポールは訴えたかったに違いない。
1976年といえばジョン・レノンが引退して主夫になった年。
だから代わりに、というのは考えすぎでしょうけど、時代の偶然とは時として必然のように感じられてしまう、ということはよくあります。
余談、ポール・マッカートニーは、ビートルズ時代に、1964年のI Want To Hold Your Handsと1968年のHey Judeで2回年間チャートNo.1に輝いていて、この曲で3回目、
これはおそらく誰も達していない記録だと思われます。
曲についても、やっぱりもう少しだけ。
対位法で作られた、輪唱の素晴らしさという点ではポップス史上最高級のものではないかな。
しかもそれを、コーラスグループではなく、才能はあるけどただのロックバンドが作ってしまったなんて。
もちろん歌メロが素晴らしい。
その上ポールの「歌うベース」、ベースのリフがあまりにも印象的で、頭にこびりついて離れない。
ブラスのアレンジも素晴らしいけど、これはポール天性のもの。
このアルバムは緩いと書いたけど、この曲はそれだけの要素が揃ってしまい、緩くても素材だけで押し通すことができた例ですね。
傑作、という意味ではポール最高点の1曲でしょう。
ああそれからもうひとつだけ(笑)。
曲の中で一度しか出てこない中間部の歌詞はこうです。
Love doesn't come in a minute
(Sometimes it doesn't come at all)
I only know that when I'm in it
(It isn't silly, no isn't silly, love isn't silly at all...)
この部分の"minute"と"(I')m in it"が見事に韻を踏んでいるのです。
韻を踏むのは単語同士が多い、というかほとんどですが、片方が単語でもう片方はそうではない、この言葉のセンスはポールならでは、舌を巻く、あっぱれ、さすがですね。
こんな韻の踏み方は見たことがない。
これはきっと、ポール自身も、見つけた時に膝を強く打ったでしょうね(笑)。
7曲目 Cook Of The House Vocal Linda
イントロの前に目玉焼きを作るSEが入り、リンダが軽やかに歌う。
ツアーで忙しいからこそ、こういう曲が欲しかったんだろうなあ。
やっぱりポールは、あんな大物でも庶民感覚を忘れないのがいい。
と思う反面、これはやり過ぎ、と感じる人もいるかもしれない。
僕が勝手にKansas City系と呼ぶ、ポールに時々ある4ビートの古風なロックンロール、趣味に走ってますね。
そう、趣味で作ったのがこの曲、そしてこのアルバムかもしれない。
ただ、趣味として考えると、この曲はアレンジ含めかなりいい。
管楽器が入っているのも、お父さんがクラリネット奏者だったというポールにとっては、「家」を象徴するものなのでしょうね。
そしてイントロ、台詞の後でギターが刺さってくる、やられたぁ。
この曲はもろ南部っぽいですね。
8曲目 Time To Hide Vocal Denny
これもほの暗く、歌謡曲っぽいけれど、かなりいい歌。
演奏の途中からフェイドインしてくる曲の始まり方がいい。
デニー・レイン、前にも書いたけど、この手の曲にはいい声ですね。
ハーモニカも入って、ポールなりのブルーズ回帰なのでしょうね。
曲想としては前作のLetting Go路線、ジャジーで重たい。
ブルーズを感じる曲には弱いと、みうらじゅん氏も言っていたけれどまさにそうですね、これはいい。
少なくともポールよりはブルージーなヴォーカリストですね(笑)。
9曲目 Must Do Something About It - Vocal Joe
ジョー・イングリッシュ、上手いかどうかでいえば上手いと思う。
70年代アメリカのシンガーソングライター的な歌い方、声質で、なかなかやるじゃんと思いつつ、この中では微妙に違うかな。
彼のハイトーンはウェストコーストっぽくもあり、70年代を感じますね。
でも、どこかじとっとした部分があって、からっとしていない。
それじゃウェストコーストじゃないじゃないか、と言われれば・・・
全体的にはなにかほのぼのとした、日本における「洋楽」の黄金期を思い起こさせてくれる、こういう歌があってよかった、という曲ですね。
10曲目 San Ferry Anne
でもやっぱり、ポールが歌うとほっとする(笑)。
ポールお得意のカントリータッチの曲にトランペットが絡み、ジャズの香りもする、よく聴くと奥深い曲。
ここまで来ると南部趣味は本当かな。
ただ弾き語りで歌うとポールらしい曲になるはずが、トランペットの音でむしろポールらしくない部分が出ている、なんとも不思議な曲ですね。
まあそれだけポールの音楽への嗅覚と興味が強いのだと。
11曲目 Warm And Beautiful
アルバムの最後は意表をついて、今にも崩れそうな脆い曲。
ドラムスがないことが直接的にはそう感じさせる部分。
ポールの歌い方もどこか不安そう。
特にBメロの高い声なんて、普段ならもっとしっかりと出すはず。
そう、ポールはたまに意図的に下手に歌うんですよね。
そういう部分を臆面もなく出してしまえるのも、心が広いですね。
ピアノで始まるイントロは、ポール一連の名曲を彷彿とさせるけれど、大上段に構えない、むしろ小品的な響きの曲。
内容はお得意の(?!)おのろけソングかな。
だとすれば、不安を取り去ってくれるのはリンダしかいない、ということか。
後半に出てくるスライドギターがなんとなくジョージ・ハリスン風。
と、ここまで11曲のうち、明るい曲は1、6、7、9くらいなもの。
9だってその裏にはじとっとした部分を感じないでもないし、まあでも曲調としては過半がほの暗い曲というのが、いやはやなんとも。
◇
アルバムのアートワークの話。
ジャケット写真は、ロンドンのライチェスター・スクエア・シアターの看板に実際に文字を飾り付けて撮影したもので、特別限定盤の本にはその取り付けて撮影するまでの様子が写真で紹介されています。
そしてこれ、意外なことにヒプノシスが手がけている。
エロティックな部分を探したけれど、残念ながら(?)ない。
まあ、一流デザイナー集団だから、顧客のニーズに合わせるのでしょうね。
ポールだって、そういう方向に弾けたくはなかっただろうから。
というか、ポールが女性も含めて広く人気があるのは、暗示はしていても、直接的な性的表現がほとんどないからでしょうね。
もちろんポールだから、これとて例外はあるのですが・・・
何だかんんだ言いながら、じっくり聴くと結構いいアルバムです。
ポールの趣味に直接触れられるのが魅力かな。
さて、最後にもうひとつ。
今回の来日公演で、このアルバムジャケットのTシャツがコンサートグッズとして売られていました。
ここからの曲は演奏しなかったのですが、でもそれはRAMも同じか。
僕はそのTシャツは買わなかったけれど、これがあったのは、直接的には昨年リマスター盤が出たから、それは分かる。
そこから僕の邪推が始まる。
もし、今回の来日が「キャリアの締めくくり」的なものであるなら、Silly Love Songsは演奏するはず、しない理由はない。
演奏しなかったということは・・・
ポール・マッカートニーは、少なくともあと1回は来日する!!
このTシャツは、そのことを示唆していたのだ!
と、思いたいですね(笑)。
コンサートといえば、アメリカツアーで初めてTemporary Secretaryを、フランスでOu Est Le Soleil?を演奏したということで、まだまだ気持ちが前進的なのは嬉しい限り。
しかもどちらも僕が大好きな曲。
ついでに前者はポールには珍しい助平心丸出しの曲・・・
それはともかく、だからこそ、また来日すると信じているのです。
今年のポールの誕生日は、このアルバムにひたりました。